今週のごあいさつ
ほんとは足りてるんじゃない?
先日NHKのドキュメンタリー番組を見ていたら、中国の科学技術に多大な貢献をした科学者が、晩年に語った言葉が紹介されていました。それが、「中国は飛躍的な進歩をとげて、食べるものに困らなくなり、みんなが働いて充実するようになった。だけど人々は幸せじゃないんだ。そのことが悔しい。」というものでした。
それを見て、日本の場合も似たようなものじゃないかと感じました。
ほんの100年、200年前まで、今と比べたらはるかに「食うに困る」状況は多かったのだと思います。
調べてみたら人類が農耕を始めたのが約1万5千年前らしいです。その頃からずっと、いかに安定的に食べ物を確保するかということが人類の最重要課題でした。
品種を改良し、土地を改良し、気候の変化や災害にあいながらも、少しずつ少しずつ強い作物、たくさん採れる作物を作っていく。そんな気の遠くなるような努力が1万5千年続けられてきました。
おそらくその頃の人たちは、食うに困らないこと、いつもお腹がいっぱいであることを夢見てきたのだと思います。
そしてこの数世紀の間に、ようやく食うに困らない状況が整ってきた。昔の人から見たら、とても幸せな、天国みたいな暮らしに見えるかもしれません。
だけど、現代に生きる私たちが、食うに困らないことだけで幸せを感じているかというと、どうもそうではないような気がします。
もっと過剰に欲しがったり、他人と比べて一喜一憂したり、自分に自信が持てなかったりと、悩みも苦しみも尽きない世界に生きています。
食うに困ることがなくなって、状況はとてもよくなったはずなのに、その状況にするために長く努力してきた人類の偉大な成果である、そんな世界に生きている自分たちが幸せじゃないなんて、なんだかちょっと申し訳ないような気持ちになります。
先週、良くも悪くも人は慣れると書きましたが、人は幸せにも慣れちゃうんですよね。
例えば結婚って幸せの象徴みたいなイベントですが、結婚して数年たっても結婚当初のような幸福感を持てる人ってあんまりいないと思います。
それは幸福感が減ったとか、不幸になったというよりも、幸せな状態に慣れてしまったから幸せじゃないように思ってしまうのではないでしょうか。
そしてもっと過剰な幸せを相手や他所に求めてしまうと、そこから不幸が始まってくる。人間とはそういう性質があるんじゃないかと思います。
仏教で「足るを知る」という言葉がありますが、まさに自分が足りていると自覚できないと、人はどんどん欲しがって、いつまでたっても幸せになれません。
ほんとは足りてるんじゃない?とちょっと自問するのも必要かもしれませんね。
それにしても、おそらく今よりずっと色々足りていない時代から「足るを知る」と言っていた仏教に、改めて凄みを感じます。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌