
ご 祈 祷
身体健全・家内安全・各種ご祈祷について
大 平 山 金 毘 羅 院
おおひらさん こんぴらいん
大平山金毘羅院
おおひらさん こんぴらいん
【令和8年 9月30日まで】
山門前道路が通行止めの期間が延長となりました。駐車場案内はこちらからご確認ください。 ≫
現在以下の新規受付をおこなっておりません。
・お祈り守り
・団体参拝
1 日朔日祭
18日先祖供養の日
24日水子供養の日
もう9月になりますが、まだまだ暑い日が続きます。
少し前までは9月に入ると涼しくなっていた気がするのですが、もうそんな日は来ないのでしょうか。引き続き、熱中症に気を付けて過ごしましょう。
NHKの朝ドラでやなせたかしさんをモデルにした『あんぱん』が放送されています。私はやなせさんの書かれた本が好きで、漫画以外の著作も何冊か読んだことがあります。
戦争について書かれた本や、自分の半生を振り返る本、どれも興味深く、また心に刻まれるような言葉に溢れた本でした。
やなせさんの生前のインタビューの中で、「昔の漫画家は健康を気にせず、体に無理をかけるようにして描いていたから短命な人が多かった。今生きているのは自分と水木しげるぐらいのものだ」みたいなことが書かれていました。
水木しげるさんといえば、こちらも朝ドラ「ゲゲゲの女房」でその人生がドラマ化されていましたが、水木さんも長生きされていました。
調べてみたら、やなせさんは94歳。水木さんは93歳でお亡くなりになりました。お二人とも長生きだし、晩年までお元気だった印象があります。
水木しげるさんは何かのインタビューで、「自分はいっぱい寝てるから長生きなんだ。もっとみんななまけた方がいい」みたいなことを言っていましたし、先のやなせさんのインタビューでは「手塚治虫は寝ないで描いてて、お腹もすごい膨らんでいたから早くに亡くなってしまった。」みたいなことを言っていました。
手塚治虫さんのドキュメンタリーを見たことがありましたが、いくつも連載を抱えて、ものすごい量の原稿を描き続けていました。
やなせさんも水木さんも、忙しい時はかなり無理をして描いていたと思いますが、手塚治虫さんはさらにすごい仕事量で、編集者はなかなか原稿が出来上がらないから「手塚治虫は原稿が遅い」と悪口を言われていたそうですが、描くのが遅いのではなく、筆は人より早いけれど、量がものすごかったんだ。ということが言われていました。
そのドキュメンタリーの中で手塚さんは「頭の中にアイデアだけはたくさんあって、まだまだ描きたいことがたくさんあるんです。」といったことを言われていました。
残念ながら手塚治虫さんは60歳で亡くなりました。きっとまだまだ描きたいものはたくさんあったのだと思います。
漫画つながりで書きますが、空海様と最澄様を主人公にした『阿吽』という漫画を読みました。(世の中にはいろんなジャンルの漫画があります)
その中で、若いころの空海様がお師匠さんから「あいつは精神が先に行き過ぎて、体を置き去りにすることがある」という注意を受けていました。
空海様、お大師様は後に真言宗を開きますが、真言宗の基本は身口意の三密。心と言葉と体を一致させて仏と一体となる。だけど若いころにはまだ心だけが先走っていた、というエピソードでした。
実際にはどうだったのかわかりませんが、読んでいてなるほどなぁと思いました。そして、同時に先に書いた手塚治虫さんのことも思い出しました。
アイデアはいくらでも溢れて、描きたいことはたくさんあるけれど、それを描いているのは生身の人間で、「もっと描きたい、もっと描きたい」が先走って、体を大事にできず、寿命を縮めてしまった。天才であるがゆえに才能が突出しすぎて体がついてこなかった。
ともすれば心に重点を置きすぎる現代の風潮ですが、体あっての心。体が元気であれば心も元気だし、体が弱れば心も弱る。
そして心だけが先に行って体をないがしろにするようでは、いつか体は壊れてしまう。
こういうことはちょっと肝に銘じておきたいですね。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌
身体健全・家内安全・各種ご祈祷について
水子供養・先祖供養について
厄払い・厄除祈祷について
合格祈願・合格守り・合格絵馬について
安産祈願・戌の日について
子授け祈願・お地蔵様のお餅について
初参り・七五三・十三参りなど
車のお祓い・車祈祷について
病気平癒・無病息災・病封じひょうたん祈祷について
ぼけ封じ祈願・ぼけ封じ絵馬について
初詣・節分祭・お砂ふみなど
鳥取の永代供養
金毘羅院墓地「照光苑」について
昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、
新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で
知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を
建立しました。これが当山の始まりです。
その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現
在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ
り多くのお参りを頂いております。
また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」
を建立いたしました。
参拝の仕方はこちらから