今週のごあいさつ
ちょっと早いけれど今年を振り返ってみたり
11月も中頃を過ぎ、今日は寒いなと思う日が増えてきました。今年は暑いと思う日が多かったのであまり実感がありませんが、今年もあとひと月半を切ったのですね。年末が近づいていると言われてもまだあまりピンときませんが。
とはいえ金毘羅院は年末から年始、節分にかけて最もお参りが多くなるので、今ぐらいから色々と準備をしているところです。いつもそんな風に正月節分の準備をしていると、あっという間に時間が過ぎて、バタバタと余裕のないまま年明けを迎えるような感じなので、今年はもう少し気持ちに余裕を持ちたいなと思っています。
今年を振り返るにはまだ早いかもしれませんが、個人的に今年は諸行は無常なんだな、と思うことが多かったように思います。
10月に大きな法要をして、それを期に久しぶりにお参りされた方がお寺の様子が随分変わっているので驚かれていましたが、ほんの2、3年でお寺もガラッと変わってしまいました。
私たちお寺にいる人間は、この数年間の工事をずっと見続けているので、変わっていく様も完成した形も、すぐに慣れてしまいましたが、久しぶりにお寺に来た方は確かに驚かれるでしょうね。
これほど劇的に変わることというのはあまりないことだとしても、変わらないものなどないんだなと感じる経験でした。
そして、今年はつらい別れをいくつか経験しました。
先代の院主が亡くなったとき、信者さんから「院主さんは亡くならないと思っていた」と言われて、ちょっと驚いたことを覚えているのですが、自分の心の支えにしている人が亡くなると、確かにそう思うのですね。今年私も同じような思いを抱きました。
自分の道導となるような人がいるから、自分は迷わなくて済むし、たくさんの気づきを与えてくださる。そういう人はいつまでも存在し続けてくれるような気になります。
だけど生きているものはいつかはその命の終わりが来るものなのですね。こちらの想いとは関係なく、いつかは亡くなってしまう。
諸行無常というのは変えようのないこと、当たり前のことなのですが、それを自分自身が当たり前だと思えなければ、それが苦しみとなります。
もっと生きていてほしい、もっと生きていたい。病気になりたくない。大事なものを失いたくない。
自分の都合で考えれば考えるほど、世界は自分に理不尽な現実を突き付けてくるような気がしてくる。
意識をしなければ人というのはどんどんそういう考えになってしまうようです。
だから仏教では「変わらないものなどないよ」「全部自分の都合よくはならないよ」と教え諭して、それを心から理解できるように自分を変えていきましょうと説いています。
私は修行不足でなかなかそこまでの境地には至れませんが、色々な経験をする中で、同じような悲しみを持つ人に、寄り添えるようになれたらいいなと思っています。
まずは、悲しいから悪いんだと思いすぎないようにしていきたいです。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌