今週のごあいさつ

「正しい」よりも人間味のある話し方を

あたたかくなりましたね。境内に残っていた雪も全てとけて、春の訪れを感じます。ちょっと前までのあの雪は何だったんだろうと。半月ほどでこんなに気候が変わるなら、別に雪降らなくてもよかったんじゃないか。と誰にともなく愚痴を言いそうになります。いや、あたたかいのは嬉しいんです。本当に。

 さて、みなさんのお家にはセールスの電話がかかってくることがありませんか?お寺にも色々なセールス電話がかかってきます。「電話料金が安くなります」とか「永代供養のPRを全国的にやりませんか?」とか(倉吉市のお墓を東京の人が求めることなんてあるのだろうか?)、そんな色んな電話がわりと頻繁にかかってきます。

 かけてくる方も、そういうお仕事なので、該当するところに所かまわずかけているのでしょうが、気になるのはその話し方です。

 言葉自体は丁寧なのでしょうが、どこか機械的というか、いかにもマニュアルに沿った口ぶりで、丁寧な言葉とは裏腹に、親しみのない、感情のスイッチを切っているかのような話し方をします。しゃべっていてあまり気持ちのいい思いはしません。おそらく、このような電話を取られた方なら少なからず同じような気持ちになるのではないかと思います。

 だけどおそらくですが、そういった電話をかけてくる人が、普段から親しい人にも、そのような話し方をするかというと、たぶんそんなことはないと思います。よくフィクションでは著しく感情を欠いたようなキャラクターが出てくることもありますが、あんな極端な人は実際に見たことがありません。

 だからセールス電話の人も、普段は我々と同じように話し、喜んだり悲しんだり怒ったり、その都度感情を揺らしているはずです。

 じゃあなんで電話の時はあんな話し方になるのかというと、そのほうが都合がいいからだと思います。

 マニュアル通りでもいいから一応の丁寧な言葉を使えばクレームをつけられることも減るでしょうし、いちいち感情を表に出していたら、電話をとった相手によってはすごく嫌な思いをする可能性だってあります。

 だから、電話の受け手のせいで、電話をかける人たちの話し方があんなふうになっていったんじゃないかと思うのです。だとするなら、電話をする人たちも、あんなしゃべり方するのは楽しくないんじゃないかな、と勝手に考えていたりします。

 私の知りあいに、ものすごい成績のいい伝説の営業マンみたいな人がいます。その人は全くマニュアル口調じゃなく、すごい人情味があって、熱い心の持ち主で、いつもニコニコして、誰とでも仲良くなれる人です。そういう人だから受け手も心を許して仕事を頼むのだろうなと思っています。

 だけど、そこまでの熱量を出せない人には、かえってマニュアル通りのやり方の方が楽なのでしょう。だけど、話す方も話される方も、お互い気持ちよく話が出来ない話し方に、どれだけ意味があるのだろうと思ってしまいます。

 日本は無菌を好む国です。コロナ以前からマスクを好んでいましたし、除菌・消臭の商品もたくさんありました。そして人間の性格も無菌を好み、品行方正であることを求められます。芸能人の不倫を叩くのも、こういった国民性が関係しているのだと思います。

 それで、コロナの時代を経て、よりそういった度合いが強まっていくように感じています。人も世間もより無菌であることが求められてくる。何かを選ぶときに、まず清潔感(見せかけだけでも)が前提となってくる。そういう時代になってくるのだと思います。

 だけどそういうのって、すごく窮屈ですよね。清潔って自然から見たらすごく不自然な状態だし、人にしたって清濁併せ呑む、そのバランスが大事で、「清」だけを求められても人間性に無理が及びます。別に不潔にしようというわけではないのですが、自然体で居づらくなってしまうんじゃないかという危惧はあります。

 だけどこの流れは止まらないんだろうなぁ、とちょっと暗い予想をしてしまいます。

 ただ、少なくとも、お寺という場所はもうちょっと自然にいてもいい、そんな場所にしたいなと思っています。そのためにも、マニュアルじゃない、自分で選んだ言葉を使えるよう、頑張っていきます。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 合掌