ご 祈 祷
身体健全・家内安全・各種ご祈祷について
大 平 山 金 毘 羅 院
おおひらさん こんぴらいん
大平山金毘羅院
おおひらさん こんぴらいん
【11月3日】
秋季大祭を厳修いたします ≫
七五三参りを受け付けております。 ≫
【令和6年 1月15日 ~ 令和7年 9月30日まで】
山門前道路が通行止めになります。駐車場案内はこちらからご確認ください。 ≫
現在以下の新規受付をおこなっておりません。
・お祈り守り
・団体参拝
先日妻と話をしていて、「子供たちがいろんなことを、(まぁいっか)と思えるように、親である自分たちも(まぁいっか)が口癖にならないといけないね」といった話をしました。
自分が思っていたように物事がいかなかったとき、自分の理想と結果が違ったときなどに、軽く「まぁいっか」と言えるか言えないかで、変に思いつめたり、周りのせいにしたりすることがずいぶん減ると思うのです。
ここでもたびたび書いていますが、「諦める」ということを上手に扱えるかどうかで生き方の楽と苦しみの度合いが変わってくるものです。
「諦め」というとネガティブなことに感じるかもしれません。人を叱咤するときに「諦めるな!」とか言いますもんね。有名な漫画の有名なセリフに「諦めたらそこで試合終了ですよ」というものもあります。
諦めちゃったら今までの努力が無駄になるとか、ここで諦めてしまうことで、後々に影響が出るということは、もちろんあると思います。
そういう、踏ん張るところで踏ん張れる力というのはとても必要で、そういう場合の「諦め」はやっぱりよした方がいい。諦めないことが大事な時はたくさんあります。
一方で、妙なこだわりを持って「こうでなければならない」と思い込んでいる時や、完璧しなくちゃいけないと思っている、ということも人にはよくあります。「視野が狭くなっている」と言われるときですね。
こういう時は「自分の思いや考えを諦めきれない」時だと思います。周囲から見れば「もう少し柔軟にものを考えたら楽になるのに」と思われていても、自分の思いで自分を縛っているというのでしょうか、「こうしなければいけない」が先に来すぎて心が固くなってしまう。
こういう時、実はかなり心が苦しいんですね。だけどなんで苦しいのかが自分ではわからない。そしてこの苦しみが解決するためには自分の思うとおりにならなければいけない。そんな風に考えて、さらに自分を縛ってしまう。
私にも身に覚えがあって、自分で書いていてもちょっと胸が苦しくなるようです。
でも、こういったときに「まぁいっか」と思えたり言えたりするとずいぶん心が軽くなるんです。
考えの根底に、「自分の思い通りにはならない」があれば、自分の理想と多少の誤差があっても「まぁいっか」で済ませられる。
特に人間関係なんて、それぞれが自分の思い通りになってほしいと思っているものだから、そこにすれ違いが起こるのは当然のことです。
そこで「まぁいっか」が言えたらすごく楽になれます。こういう場合の苦しみの原因は周りじゃなくて、自分の心のとらわれだから。そして、自分の思い通りになることが正しいことではないのだから。
諦めちゃいけないときにはしっかり踏ん張って、諦めた方がいい時には「まぁいっか」で自分の気持ちを軽くする。
諦めを上手に扱える諦めの達人が、苦しみの少ない人ということでしょうね。
まずは我々夫婦で「まぁいっか」を口癖に出来るようやってみます。後々子どもたちに「すごい適当な夫婦かも」と思われるかもしれませんが。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました 合掌
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金毘羅院墓地「照光苑」について
昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、
新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で
知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を
建立しました。これが当山の始まりです。
その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現
在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ
り多くのお参りを頂いております。
また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」
を建立いたしました。
参拝の仕方はこちらから