
ご 祈 祷
身体健全・家内安全・各種ご祈祷について
大 平 山 金 毘 羅 院
おおひらさん こんぴらいん
大平山金毘羅院
おおひらさん こんぴらいん
【秋季大祭 令和8年11月3日(月・祝)】
座禅会や柴燈護摩祈祷・火渡り修行を行います。≫
【令和8年 9月30日まで】
山門前道路が通行止めの期間が延長となりました。駐車場案内はこちらからご確認ください。 ≫
現在以下の新規受付をおこなっておりません。
・お祈り守り
・団体参拝
1日朔日祭
18日先祖供養の日
24日水子供養の日
10月になりました。ようやく暑さが落ち着いて、半袖だと肌寒く感じることも増えました。いっときの雨不足がうそのように雨の日も多くなりました。
気候の良い季節なのでイベントごとも多いと思います。金毘羅院も10月19日に「からだ健康マルシェ」を。11月3日に「秋の大祭、火渡り」と行事が控えております。雨が降らない日が続けばもっとたくさん降ってほしいと願うし、行事があればその日だけでも降らないでほしいと願うし、都合のいいことだなと思っております。まぁ、その都合通りにならないのが自然のことなのですが。
さて、お寺の大規模改修工事が終わって2年半ぐらいになります。前の道の工事が終わらないのでまだスッキリとはしていませんが、お参りされる方も今のお寺に慣れたのではないかと思います。
何でもそうですが、今の状況に慣れてしまうと、以前がどんなだったかというのは忘れてしまうものです。前は寺務所がここにあったな、会館はここだった。松の木ももう一本あったよなと言われてみたら「そうだった」となるんじゃないかと思います。
ところで、この工事も完成するまでは図面の変更が度々ありました。会館の向きが違ったり、建物が一棟多かったり、山の擁壁がもっとかくかくしていたりと、工事着工当初の完成図面と実際の今の図面とでは色々なところが違っていました。
その中でも一番変わったところは山門の位置です。
工事以前の山門は本堂の正面にありましたが、現在はそれよりも東に動きました。山門については先代院主の思い入れが強く、「この門だけは何があっても残せ」と常々言っていたようです。
ですので、工事の計画が始まった時にも、山門は新築せず、今のものを動かすということは初めから決まっていました。
ただ、門の位置については、実は現在の東側とは逆の、駐車場のすぐそば、西側に移設する予定でした。
具体的には今のお大師様やボケ封じ観音様をお祀りしている場所に、山門を設置して、そこまで階段とスロープを作ってお寺に入ってもらうという計画にしていました。
これだけ聞くと、そっちの図面の方が駐車場から山門が近いので、参拝するにはよさそうな気がしますよね。
こちらとしても、お参りしやすくしたかったので、当初はそのように計画していました。
ただ、家相や方位方角を調べてみると、寺の西側に門を置くことについて、西というのは日が沈む方角だから、そこに門があると寺は徐々に衰退していくのだと。一方東は太陽が昇る方角だから運が昇っていくのだそうです。
それでも最初は、西側に門を設置して、頃合いを見て東に移せばいいと楽観的に考えていましたが、次々工事が進むのを見て、またこういった工事をやろうと思うと費用も労力もとてつもないことだぞ、と思い途中で無理言って図面を変更してもらって、今の山門の位置に落ち着いた次第です。
駐車場からはスロープもついているので、結果的に山門が西側になくても駐車場から直でお寺に入れるのですが、東側の山門から入った方が運気が上がる、のかもしれませんよ。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌
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金毘羅院墓地「照光苑」について
昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、
新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で
知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を
建立しました。これが当山の始まりです。
その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現
在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ
り多くのお参りを頂いております。
また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」
を建立いたしました。
参拝の仕方はこちらから