今週のごあいさつ

平等は難しい

 小さな子供たちと暮らしているうえで、気を付けておかなければいけないことが「平等にする」ということです。

 これは何も、公正な友愛精神をもって接せよ、というわけではなく、例えば何かの都合で一番下の子だけにお菓子をあげると、上の子たちが「ずるい!なんで下の子だけ!」と怒ったり。

 あるいは上の子たちだけがいつまでもテレビの所有権をもっていると、下の子が「自分の見たいのも見せて!」とケンカになったりします。

 こんな風に、誰かだけが得をするような状況になるとトラブルのもとになってしまうので、平等にしなければいけません。

 前はこのことがわかっていなくて、次男をお迎えに行ったついでに買い物に行ったとき、次男だけにお菓子を買ってあげて、そのまま帰ると兄弟げんかが勃発してしまい、ばつの悪いを思いをする、といったことを何度か経験しました。

 大人からすると「これぐらいのことは別にいいじゃないか。もう少し我慢することをおぼえてほしいな」なんて思ってしまうのですが、じゃあ大人は不平等な扱いを受けたときに黙って我慢が出来るかというと、場合によってはそんなことなかったりします。

 例えば、高速道路で前の車と同じスピードで走っていたのに、自分だけが覆面パトカーにスピード違反で捕まったとしたら、これはちょっと黙っていられない気がします。

 「前の車だって同じスピードじゃないか!なんで自分だけ違反になるんだ!」って言いたくなりますよね。

 他にも、同じ職場で同じ仕事をしている二人が、同じだけの成果を出しているのに、片方だけが昇進をすると、もう一人はちょっと納得がいかないですよね。「なんで向こうだけ認められるんだ!」って気持ちになります。

 こんな風に、大人だって平等じゃないとトラブルが起きやすい。

 現代において、平等とは人間の持つ大切な権利として、何人たりとも侵すことのできない神聖な概念として受け取られていますが、平等じゃないと色んなトラブルが起こるから、出来る限り平等にしとかないとね。といった気持ちが前提としてあるのかもしれません。

 なにせ子供ですら教えていないのに不平等を訴えるということは、人間には不平等に対して怒りがわくという性質が、あらかじめ備わっているとしか思えませんから。

 それで、なんでそんなに不平等が嫌なのかというと、身も蓋もない言い方をすれば「損をするのが嫌」なのだと思います。

 これは、実際に自分が何かを失って損をする、ということではなく、別の誰かが得するのを見ると、自分が損をした気になる。という性分を人は持っているのではないかと思います。

 そういう気持ち、身に覚えがありませんか?

 例えばラーメンを食べようと思って30分並んで順番待ちをしていたら、前の人が「来店1万人目」で特別なサービスを受けたりすると、すごい損をした気になりますよね。

 ちょっと例えがしょうもなかったかもしれませんが、人は思っている以上に損をすることに敏感です。

 平等の精神、誰にでも敬意をもって接する、だれにでも分け隔てなく応対する。そういうことはとても大切だと思います。

 ただ、平等の名のもとに、損得を気にしすぎ、果ては必要以上に自分が損をしているような気になってしまうのは、気を付けなければいけません。

 また、過剰に得をすることを宣伝するようなサービスも、裏を返せば損をしたくないという気持ちを利用したやり方なので、これも気を付けた方がいいと思います。

 大切なのは、損をした気分になったときに、「それは本当に何かを失って損をしたのか」を、自問する習慣をつけることなのではないかと思っています。

 あいにく、子供たちにはまだそういったことを理論立てて説明できてはいないので、なるべく平等に接する、ということを心がけるようにしています。

 だけど、平等って難しいですよね。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。        合掌