今週のごあいさつ

一日中肌着から古臭いにおいがしてげんなりする今日この頃

朝晩の冷え込みとお昼との寒暖差が特に大きいこの時期、着るものに困りますよね。朝寒いからといって厚手に着込むと昼間には暑すぎる。かといって昼の暑さを見越して朝から薄着でいると下手すると風邪をひいてしまう。この時期の着るもの選びは面倒です。

もう一つ鬱陶しいなと思うのが、思ったより朝が寒くてタンスの中からあったかい長袖を引っ張り出して来たらタンスのにおいが染み込んでいい匂いがしない、ということがあります。

タンスや衣類ケースに長期間入れられていた服って独特の鼻がムズムズするような古臭いにおいがしますよね。着ることを見越して衣替えの時期に洗濯をしておけばいいのですが、急に冷え込むとこちらも油断していて、タンス臭い服を着る羽目になります。あのにおいのする服を着ているとなんとなく惨めな気持ちになるというか、ちょっと大げさかもしれませんが自分も長い間タンスの中に放置された古臭い人間になった気がします。

やっぱり身に付けるものは気を付けて清潔にしておきたいですよね。

さてさて、仏教でもこの「においが染み込む」という例えを使って人間の心を分析しています。

どういうことかというと、私たち人間は五感をつかって外部から情報が入ってきます。この時、脳科学的に言えば入ってきた情報を脳が「いる情報といらない情報」にわけて認識したり記憶したりしています。

しかし仏教の分析ではこの外部から入ってきた情報について、意識に現れるのは脳が選別した「いる情報」だけなのですが、「いる情報いらない情報」関係なく、意識よりもっと深い場所、今の言葉でいえば「深層意識」に外部からの情報すべてが入っていきます。

それは心の中の無尽蔵の蔵のような場所です。それを仏教では「アーラヤ識」と言います。

そして人間の意識というのは、自分の感覚でいえば自分自身でその場その場の意思決定をしているような気になっていますが、実はこの「アーラヤ識」に詰め込まれた様々な情報が煙のように意識に立ち上り、その場その場の行動に影響を与えているというのです。

これを「薫習(くんじゅう)」といって、衣類ににおいが染み込むように、これまで生きてきた中で見聞きしたものが影響して、今の自分の人格を作るという意味になります。

人それぞれによって考えや思考や行動の傾向というものがありますが、それはその人がアーラヤ識に何をため込んでいるかによって変わっていくのです。

だから、ある人がもし道徳的に良くないものをたくさん外部から入力していると、その人のアーラヤ識には良くないもので一杯になっています。そこから薫習された意識は当然良くない思考傾向と行動傾向をもたらします。逆にアーラヤ識を良いもので一杯にしていれば良い思考傾向、行動傾向になる。つまり良い生き方が出来るわけです。

ですから善い行いをするということは結果としてアーラヤ識からの薫習を良いものにするということなので、善行というのはいわば心の洗濯をするようなものなのです。

では善い行いとは何か?難しい事ではなく、いつもニコニコ機嫌よくしているとか、優しくきれいな言葉を使うとか、自分のできることで人の助けになる、といったことです。そういう積み重ねが私たちの意識の奥深くに溜まっていき、そこから立ち上る煙が結果としてよい生き方をもたらしてくれるのです。

タンスの中から秋冬物を出すこの時期、それらの洗濯をするのに合わせて、ご自身の心の洗濯も心掛けてみませんか?

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌