今週のごあいさつ

思考を止めるな

 お釈迦様の残されたお話の中で、「人から黄金をもらっても、それを切ったり焼いたり伸ばしたりして、本当に黄金かどうかを確認してから受け取れ」といったというお話があります。

 これは比喩の話で、この話の伝えたかったことは、お釈迦様はお弟子さんたちに色々と教えを説くけれど、それを「お釈迦様が言っていることだから正しいはずだ」と鵜呑みにせず、自分の中でしっかり納得できるまで検証しなさい。という意味で伝えられたということです。

 この話は身につまされる話というか、私も「誰誰が言っていることだから正しいだろう」と思ってしまうことが多々あります。

 芸能界などで影響力のある人がテレビで発言していると、「なるほど、このニュースはそういう捉え方をすればいいのか」と思ってしまったり、尊敬している人からの言葉は間違いのないものだと思ったり。しかもその後にその話を、さも自分の意見かのように人に話してみたり。

 

 最近ではSNSを通じて様々なインフルエンサーと呼ばれる影響力や発信力のある人が自身の意見を出していますが、こういう人のフォロワーといわれる人たちも、発信を鵜呑みにするケースは多いのかもしれません。

 また発言だけではなく、有名なブランドの商品であれば良いものに違いない。価値があるに違いない。と無条件で受け入れてしまったりすることもあるでしょう。

 この特定の人やブランドに対して無条件に受け入れる姿勢は「信頼」という言葉に置き換えることが出来るかもしれません。

 信頼している人だから、言っていることは間違いないだろう。信頼しているブランドだから悪いものであるはずがない。と。

 もちろん信頼をするという気持ちは大切ですが、一度信頼をしたからといって、いつまでもその対象が信頼に足るものかどうかは、常々自分の中で精査しておく必要があるのだと思います。

 こういう話をすると、「じゃあ何事も疑ってかかる姿勢が正しいのか?」という疑問もわいてきます。

 ただ、お釈迦様のお話しは、「何事も疑ってかかれ」というより、「考える姿勢を止めるな」ということなんじゃないかと思うのです。

 この人の言っていることは正しい。この人は自分には持っていない考えを持っている。と一度思っただけで、次からは無条件にその人の意見を受け入れる、というのは思考を停止してしまっているとも言えます。

 それはある意味楽なことで、いちいち考えずに、言われたことをそのまま自分の意見にしてしまえるし、難しいことを考えなくてすみます。

 だけどそれでは知らないうちに間違った方向に行ってしまうこともあるんだよ、ということが前述のお釈迦様のお話しで語られていることなのではないかと思っています。

 自分でちゃんと考えて、自分の責任で行動する。簡単なように見えて、実は案外出来ていないことだったりします。

 自分自身に言い聞かせるつもりで書いてみました。

さて、みなさんはどうですか?

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。         合掌