今週のごあいさつ
どんどん変わっていく
2月も終わり3月になりました。今回初の試みで本堂にひな人形を飾ることにしました。
お寺で所有しているひな人形、長らく日の目を見ないまま倉庫にしまわれていたのですが、私も娘がいることですし、せっかくなのでお参りの方にも見て頂こうということで本堂に飾ってみました。
しつらえてみるとやっぱり華やかですね。本堂の雰囲気もいつもと違って見えます。評判が良ければ来年以降も飾っていこうと思っていますが、しつらえがけっこう大変でした。そして聞くところによると片付けがより大変だということなので、ここで心折れて来年以降はなかったことにしないようにしていかねばと思っています。
しばらく飾っておくので興味があればお参りしてみてください。写真などもご自由にとってもらって構いません。
さて、最近お寺にお参りされた方ならお気づきだと思いますが、境内の改装工事が着々と進んでいます。裏の山をけずり、壁を建て、もうしばらくするといくつかの建物の解体も始まります。
着工しだしたらあっという間。どんどん景色が変わっていきます。
そんな状況になってからこんな感情がわきます。「もっと前の景色を写真に撮ったり、それぞれの場所をもっと大切にしておいた方が良かったな。このまま前の景色を忘れてしまうのは寂しいな」と。
今まで当たり前にあったものが形を変えていくとき、何とも言えない寂しさというか、物惜しさみたいな感情がわいてきます。
こういうことは物だけじゃなく人間関係でもありますよね。とくにこれからの季節、卒業や転勤など今までいた場所が変わっていくときに、これまでの環境を離れる寂しさがわいてきます。
そういう情緒があることは悪い事ではありませんし、あってしかるべきものだとも思います。
ただこの寂しさ、もったいなさといった感情をもっと突き詰めていくと「変わりたくない!」という自身の願望に突き当たることがあります。
脳の作用なのか太古からの記憶なのか、私たちは変化することに対して抵抗感を抱いてしまいます。そして現状維持を好むような傾向があります。
これに対抗する言葉が仏教でいう「諸行無常」です。変わらないものなどない。ということですね。本来変わらないものなどないのに変化することを嫌悪してしまう。そのことで心の平穏が失われてしまう。だから変わっていくことを受け入れましょうという言葉です。
ただ、だからといってなんでもどんどん変化させればいいというわけでもないし、変化に対して寂しさを感じるということも情緒として悪い事ではない。けれど「変わらない」ということを前提で物事を考えてしまうとすごく窮屈になってしまうこともあるのです。
「これはこうでなければいけない」とか「昔からこうするものだと決まっている」みたいな考え方がそれです。
そういった窮屈な考え方の根底に「変わりたくない」があるのであれば、そこは勇気をもって変えていく必要があるのではないかなと思います。
ともあれ、今のお寺のようにここまで劇的に変化されるとそんなことを考えている暇さえありません。ほんとにどんどん変わっていきます。今は何よりもこの工事が完了した後、さらに金毘羅院がいいお寺になったなと思ってもらうことを一番に望んでおります。
今はガチャガチャとしておりますが、新しいお寺をどうぞお楽しみに。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌