今週のごあいさつ
徳と得
先週、昔ひいたおみくじに「よい信仰 明るい心」と書いてあったのを、今でもお守のような言葉として持っている。という話を書いたのですが、今週はその続きで、じゃあよい信仰ってどういうものなのだろうと考えてみたので、それを書いてみようと思います。
近年の日本人にとって信仰を持つというのは、ちょっと危ないとか、あまり普通じゃないことのようになっているような気がします。日本中が盲目的な信仰をもって戦争に向かったという反省もあれば、社会の平和を脅かすような新興宗教があったりと、信仰を持つことに良いイメージがないように思います。
ただ、信仰というのは何も神仏に対してだけのものではなくて、よく言われるのは、日本人は戦後お金を信仰するようになった。なんてことを言われたりします。お金があれば幸せになれると信じて、少しでも多くお金を稼ぐことを人生の目的にする。最近になってお金があっても幸せとは言えない、という考えも広まってきていますが、まだまだ根強くお金信仰はあるんじゃないでしょうか。。
あと、最近だとインフルエンサーと言われる人たちの言うことを頭から信用しきってしまうのも、ある意味信仰に似ていますし、推しのアイドルを何より尊いものと思って追いかけるのも、広い意味では信仰になるんじゃないかなと思っています。
何かを強く信じて、それを心の支えにして、それに向かう行動を起こしていく。これを信仰と呼ぶのなら、誰の心にも信仰心は備わっているのだと思います。
じゃあ最初の話に戻って、「よい信仰」とはどんなものなのか。例えば悪い信仰があるのだとしたら、よいと悪いの線はどこで引かれるのか。
私はそれは、その信仰が、あるいは信仰に基づく行動が、「徳」につながるかどうかが、よいと悪いの境目なんじゃないかと思います。
「徳」というのは人として善い行いをすることで積みあがっていくものです。人に対しての親切さや敬い、優しさ、丁寧さ、誠実さ。そういった振る舞いをすることで徳が積みあがっていき、やがてそれが良い結果となって自分に還ってくる。そのように仏教では言われています。
これが、ちょっとダジャレみたいになっちゃいますが「得」のほうに動くと良くないんじゃないかと。目先の利益にだけ目を向けるとか、自分が得することだけを考えるとか、誰かと比べて優越感を持つとか、そういったことに向かうと「徳」は積みあがらず、あとあと悪い結果が訪れる。
なので、「徳」に向かうか「得」に向かうかでよい信仰と悪い信仰の境目が分かれるんじゃないかと思います。
そして「徳」を積むための行動の根底には真っすぐな、明るい心が必要なんじゃないか。だから「よい信仰 明るい心」なんじゃないかと、これを書きながら考えました。
お坊さんって「徳」の話よくしますよね。お坊さんの修行というか生き方は、徳が積まれるような教えに基づいてされています。なので、ちゃんとしたお坊さんの生き方をしていると自然に徳が積まれるのだと思います。そしてその徳の恩恵を実感することが多々あるのではないかと。
だからこそ、たくさんの人に「徳は積んだ方がいいよ」と伝えたいんじゃないのかなと思っています。
みなさまもどうぞ、よい信仰と明るい心を。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌