今週のごあいさつ

削る生き方

大河ドラマの『鎌倉殿の13人』を毎週楽しみに見ています。歴史は社会の授業で学んだ知識くらいしかないので、ああやって人間が織りなすドラマとして見ることで、授業で聞いた単語としての歴史ではなく、人が積み上げていったものが歴史なんだなと、認識を新たにする機会になっています。

その大河熱の延長で、主演の小栗旬さんのドキュメンタリー番組も観ました。NHKの『プロフェッショナル』というやつです。

小栗旬さんは、大河ドラマのことだけではなく、役者としての自分に思うところがあるらしく、確たる言葉ではなく、けむに巻くようなインタヴューの受け方をしていたのが、見ていて面白かったです。

そりゃ簡単に答えを出せたり、極めたりできるものでもないもんな、と思いながら見ていました。世間からの評価と、自分の思う納得できる演技の差に、まだうまく言葉に出来ない感じが見られましたが、演技に対して真面目であればあるほど言葉にするのは難しくなるのでしょうね。

そんな中、これはすごいなと思った言葉がありまして、どんなものかというと、「役者として、観る人の心に残るような演技をするには、何かを削らないと出来ない。」といったことを話していました。

人並みのことをやっていたのではダメで、身を削るように何かを差し出さなければ「それ以上」のものにはなれないという意味の言葉でしょう。

その削る「何か」というのは人によっては、家族だったり、幸せだったり色んな言い方が出来るのでしょうが、突き詰めて言えば「命」だと思いました。

「命」をもう少し具体的にいうと「自分に与えられた時間」です。この時間を他の人がかける以上に、自分の打ち込むものにかけていく。

そこに時間をかければかけるほど、当然ですが他のものにかける時間は少なくなります。だから、この「削る」という言葉は覚悟がないとなかなか言えない言葉だと思います。

「削る」というのはもちろん比喩として言ったのでしょうが、小栗さんの中では、自分の命を削っていきながら、自分の目指す役者像を彫り上げる。そういう役者道を歩もうとしているのかな、という印象を受けました。

ところで「命」、つまり「自分に与えられた時間」はわざわざ削らなくても、だんだんと減っていきます。ただ漫然と生きるだけでも、例えば手癖でスマホを眺めていても、誰かが何かに打ち込んで削っていった時間と同じ時間が、過去として消えていきます。

そういう場合は、「削る」というより「磨り減る」という方がいいでしょうか。

別に磨り減るのが悪いわけではありません。なんとなれば、そういう生き方の人の方が多いでしょうし、時間の流れをあるがままに受け入れて、自然に磨り減った命の形は、それはそれで味のあるものだと思っています。

ただ、私も小栗さんと同年代なので、その削る生き方がちょっと憧れるなぁ、と思いながら見ていました。本当は「削る」だとか「磨り減る」だとか、言葉そのものに振り回されてはいけないのもわかってはいるんですけどね。

自分はお坊さんとして、「削る」ほど仏道に向き合えているのだろうか、と考えさせられる時間となりました。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌