今週のごあいさつ

自分が言ってもらいたい言葉を言ってあげるという修行

 11月も末となり、いよいよ年末が近いという感じですね。ここまでくると時間が過ぎるのが本当に早く感じます。寒さと気ぜわしさの冬が来たなぁという感じです。

 なんとなく先週書いた文章の続きみたいなお話ですが、誰にでも、わざわざ人には言わないけれど、自分の中では「頑張っているんだぞ」と思っているものごとがあるのだと思います。

 本当はそれについて誰かにわかってもらいたかったり、ほめられたいと思っているけれど、なかなかそううまくはいかない。

 普段身近にいる人ほど、そういうところは見えているかもしれないけれど、なかなかほめてはもらえない。

 職場はもちろんのこと、家族になるとよけいに難しい。本当は身内同士でほめあえれば一番いいのでしょうけれど、家族って関係が近すぎてほめるのが一番難しい存在になってしまいがちです。

 それで、先週はそういった自分の中では頑張っていると思っていることをしても、それに対して報いを求めないようにしようという話だったのですが、今回はもう少し踏み込んで、「本当は自分が言われたいと思っているほめ言葉を、人に言ってあげる」というのはどうだろう、というお話です。

 ほめてもらえるって嬉しいですよね。認めてもらえたとか、わかってもらえたという気持ちになります。

 最近「自己肯定感」という言葉をよく聞きますが、それって「人からほめられることを期待せずに、自分で自分を肯定してあげよう」ということなのかなと思っていたりします。

 ほめられるために何かを頑張っているわけではないけれど、ほめてもらえることで、ヤル気も増えて、より物事に注力できるようになる。

 それで、本当は自分が人から頑張っていることをほめてもらいたいのだけれど、その前にまず人のことをほめてみてはどうだろう、というのが今回のお話です。

 自分が言ってもらいたい言葉をこちらから人に言うのって、ちょっとしゃくですよね。なんで頑張っているのは自分なのに、人をほめてあげないといけないんだ。と思います。

 ただ、なんというか、そういう修行だと思ってこれをやってみる。

 「自分の中ではちゃんと頑張っていることがある」とか「ほめてもらいたい、わかってもらいたい」という気持ちは実は誰もが持っていて、だからみんながみんな、ほめられること、わかってもらえることを心の中では期待をしている。

 そうであるならば、じぶんからまず、人に対してそういう言葉をいってあげる。そうすると、言われた人はすごく喜ぶと思います。場合によっては感動してくれるかもしれない。

 そうすると、言われた相手もあなたに対して、感謝の気持ちや理解の言葉を言いやすくなるのだと思います。

 少し引いて考えてみると、一方的に自分だけが他者から評価を受けるというのはあまり現実的ではないように思います。それよりもまず、自分から心を開いた言葉をかけるというのが、お互いの心を柔らかくする近道になるのではないかと考えています。

 それから、自分のかけた言葉で相手が喜んでくれるのも、実はほめられることよりうれしくなったりするものです。

 ほめてくれない、わかってくれないと心を固くするのではなく、まずは自分で自分の心を柔らかくして、そこから優しい心で優しい言葉を言えるようになれば、なんかもっと色々楽になりますよね。

 ちょっとした心の修行だと思って、私自身も心がけようと思います。

 あ、あとそれをするときも「施して報いを願わず」の心は忘れずに。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。     合掌