今週のごあいさつ
頭の中が嘘でいっぱい
結構前に流行った遊びに、「脳内メーカー」というのがあります。今でもあるのかもしれませんが、自分の名前を入力すると、その人の考えの中心をあらわす文字がわかる、というものなのですが、やってみたことはありますか?
私も昔それをやってみたのですが、本名でいれてみたところ、頭の中が全部「嘘」で構成されていて、ちょっとショックを受けました。「そんなに僕は嘘つきなのか…」と。
他の人の名前でやると、色んな文字で構成されていることが多いのですが、嘘一色というのはけっこうインパクトがありますよね。しかも印象が悪い。
もし興味があれば「脳内メーカー」で検索をしてみてください。やってみると面白いですよ。
さて、そんな頭の中が嘘一色の私ですが、今まで出会ってきた人の中には、わりと頻繁に嘘をつく人がいました。
嘘と言っても「だましてやろう」という気持ちで言っているのではなく、その場をうまく取り繕うため、とか、自分の都合のいいように話を進めるための手段として、嘘を用いているという印象を受ける人でした。もう少し詳しく言うと、「本心で話をしていない」という感じです。
ただそういう嘘というのは外から見ていてバレるんですよね。特にその人は日常的に悪気なく本心ではない、その場しのぎのなんとなく良さそうな言葉を使っているので、聞いているこっちは、「ああ、またこの人はこんなことばかり言っているな」という程度にしかその人の言葉を受け取らなくなりました。
つまり、私はその人のことをあまり信用できる人ではないと思ってしまった。
そういった経験があるので、そういったその場を取り繕うための本心ではない言葉を言うのはやめよう、と結構若い頃から考えるようになりました。それから、「この人の言葉は本心から言っていることかな?」ということをちょっと探ってしまうような癖もついてしまいました。そう考えると、頭の中が嘘一色なのもうなずけるかもしれません。
それで、嘘について考える時、すごく単純な答えにたどり着くのですが、「嘘をつく人は信用できなくて、嘘をつかない人は信用ができる」という結論に達します。
でも世の中には人に信用されようと思って嘘をついてしまう人がけっこういるような気がします。先に書いた人もそのパターンで、人の信用を失ってまでその場を取り繕おうとか、自分の都合よく話を進めようと思っているわけではなく、信用してもらおうと思って本心ではない言葉を積み重ねている、という印象を受けていました。
そしてそういう人を見てこう思うのです。「こういう人にはならないでおこう。」と。
嘘つきの反対は「正直」だと思いがちですが、仏教では「正直であれ」という教えではなく、「嘘はつかない方がいい」という教えが多いように思います。
確かになんでも正直にしゃべるより、嘘は言わず、無駄なことも言わない。という方がトラブルも少ないように思います。
私も、いつのころからか嘘を手段として用いるのはやめよう、と思ってすごしているように思います。あとは現実以上に自分を「大したもの」のように見せないことが、小さな嘘を重ねないコツかなと思っています。
口は禍の元。本心でない言葉も、正直すぎる言葉も、余計なトラブルの原因になります。自分が何を思って、どんな言葉を話しているのか、観察してみるのもいいかもしれませんね。よかったら一緒にやってみましょう。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌