今週のごあいさつ

負けたと思われたくない

春の連休に入りました。コロナも落ち着いて、ようやく自由な連休が来たという感じですね。金毘羅院の四国八十八ヶ所お砂踏みも連休終わりまで開いていますので、どうぞお参りください。

先日夜中に目が覚めてしまって、まだ起きる時間には相当あるし、目をつむって再び眠気が来るのを待っているけれどなかなか寝付けない。という日がありました。

こういう時はあまり色んなことを考えず(考えてもどうせろくなことは出てこないし)頭を空っぽにして眠りが来るのを待とう、と思っているのですが、気がつくと愚にもつかないようなことが頭の中にグルグルとわいてくる。

ただこの時期、まとまってものを考える余裕がなかったので、それならせっかくなので睡眠時間が短くなるといったけち臭いことは考えず、ちょっと真剣に思考を巡らせてみよう。と一つ一つ順を追って、今考えている途中のことや、整理のついていない感情のことなどに思いを巡らせてみました。

それで、結構な時間眠りも訪れずに色んなことを考えたのですが、結果的に何を考えたのかは翌日になるとあんまり覚えていませんでした(笑)

ただ最後に、「負けたと思われたくない」という動機で動くと窮屈で不自由だよな。ということを思いつき、なんかいいこと思いついたよなと満足して、そのあとすっと眠りに落ちました。

「負けたくない!」ではなく「負けたと思われたくない」という思いは、私自身特に若いころは随分とらわれていたように思いますし、今でも相手によってはそういう思いを抱くことがあります。

負けたと思われたくない、という気持ちが前に出てしまうと素直に相手のやることを受け取れなかったり、知ったかぶりや、わかったふりをしてみたり、あんまりいいことにならないですよね。ほんとに心が窮屈で不自由になってしまう。

だけどやっぱりこんな風に思ってしまうことはありますよね。

よくよく考えてみると、相手がどう考えるかなんて、こちらがコントロールできることではないです。勝手に見下されることもあれば、親しみをもってくれることもある。

ただこちらが「負けたと思われたくない」という思いで接している限り、なんとなく相手にそういう思いは伝わってしまうんじゃないかと思います。そうすると向こうもこちらに接しにくいですね。

逆にあんまりそういう思いにとらわれていない人と話すとこちらも気楽にお話出来ます。

だから無暗に意地を張っていたり、窮屈な思いをするときは、「負けたと思われたくないって思ってないかな?」と自分を少し冷静に見てあげられればなと思っています。

あとは「勝ったと思うことは幸せじゃないよ。」というのも言い聞かせておきたいですね。

寝むれない夜でも収穫はある、こともある。というお話でした。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。           合掌