今週のごあいさつ
苦しみから抜けるための方法
ここのところ四聖諦について連続して解説をしていますが、とりあえず今回で大まかな説明は終わりとなります。
最後の解説は「滅と道」についてです。
無明という原因によって人は本来無常であり無我である世界を錯覚して生きてしまい、それが自分の思うようにいかない苦しみとなってしまうというのが前回までのお話ですが、それではその苦しみを取り除く方法はあるのかというのが今回のお話です。
それが四聖諦の「滅聖諦」と「道聖諦」になります。
簡単に言うと無明という原因を滅して、苦しみから抜け出す道があるという教えです。
では具体的になりをすればいいかというと「八正道」という生き方をしなさい、とお釈迦様は語っています。
八正道とは「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」の八つの正しい行いを指します。
正しいものの見方、正しい考え、正しい言葉、正しい行い、正しい仕事、正しい努力、正しいイメージ、そして正しい瞑想を行うという教えです。
では何をもって正しいとするのかというと、無常であり無我であることをもって正しさとします。つまり自己中心的な考え、発言、行動をするのではなく、また極端に自分に厳しくしたり、あるいは極端に自分を甘やかすようなことをせず、そしてあべこべな考え(価値のないものを価値あるように考えたりすること)を避けるようにする。そういった考えにのっとった行動を正しいことと言います。
そしてこの八正道の中心となるのが最後の正定。正しく瞑想をするということになります。
正しく瞑想を行って世の中が無常であり無我であることを芯から理解できるようにしていく。それによって自分の力で苦しみを克服できるようになる。それがお釈迦様の開いた仏教の修行です。
無常とか無我というのは理屈として頭で理解することは出来ても、それを自分のこととして理解するのはとても難しいことです。
だから瞑想を行い、自己を観察し、自分と世界を観察し続けることで無常や無我を体感することが大事になるのです。
ですから、ここまで長々と四聖諦の解説をしてきましたが、これまでのことがただの知識として理解するのではなく、それらを実践していくことがとても大切になります。
仏教というのは何よりも実践することが大切になるのです。
けれども実践し続け、なおかつそれをしやすい環境を整えるというのは社会で生きていくうえでとても難しいことです。だから修行者は仏教僧団を作って社会から距離を置いたコミュニティを作ったんですね。
さて、ここまで書いてきて苦しみは誰しもがもっている悩みだとしても、修行とか瞑想というとちょっと自分とは関わりのない、特定の宗教的な話に思えてしまいます。
しかしここまでの話をみていくとお釈迦様の説いたことは、何か絶対的な存在を信仰していれば救われるというような一般に理解されている宗教観とはちょっと違うということがわかると思います。
そして瞑想という行為も今は科学的に効果が証明され、宗教的な行為としてではなく一般にも受け入れられつつあります。
ということで四聖諦のお話は今回までですが、次回は普段の生活の中でもできる簡単な瞑想のやり方を書いてみようと思います。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌