今週のごあいさつ
自慢にならない話し
今年も残すところあとわずかになりました。12月と思えないほど気温の高い日もあれば、今日のように雨の降る薄暗い日もあって、でも12月にしてはわりと寒さがましなように感じます。このまま穏やかな冬だといいなと思って去年の日記を見てみると、去年もちょうど今頃は穏やかな天気が続いていて、油断していたところに大晦日の大雪という意地の悪いお天気でした。お正月の法要の為にお手伝いをお願いしていた県外のお坊さんも結局大みそかには間に合わない事態になったんですよね。あれは困ったな。
今年もそのくらいの覚悟はしておこう。同じようなことになっても心を乱さないようにしよう、と今から心づもりをしております。
さて、ちょっと前に真冬の滝行は辛い、といったお話を書いたのですが、実は私、自慢じゃないのですが、修行中だれよりも長く滝に入って修行をしました。滝に入るとお経を唱えるのですが、唱える速さは人によってまちまちで、聞き取れないほどワーッと速く唱えて、滝を出る人もいるのですが、私は可能な限りゆっくり丁寧に、誰が聞いてもわかるようにお経を唱えてから出ていました。
「なんだそれは、自慢じゃないけどと言っておきながら、自分はちゃんとやっていたという自慢をしているじゃないか。」と思われるかもしれませんが、本当に自慢するつもりではないのです。
なぜなら、なんで人より長く滝に打たれていたかというと、「自分が一番ちゃんと修行をしているところを証明してやろう。なんならそれで人に褒めてもらおう。」という下心があって滝に長く入っていたからです。
もちろんそれだけではなくて、雑にお経を唱えたくない、という気持ちもあったのですが、やっぱり根っこに「俺は人よりやってるぜ」という気持ちがありました。
滝行をするのはほんとに厳しい修行期間だけなので、それが終われば入らなくてもいいのですが、熱心な人はその後も滝行を続けていました。
だけど私は、「修行期間に誰よりもしっかりやったのだから、もうしなくてもいいでしょ」という感じで、それ以降は滝に入りませんでした。
実を言うと、誰よりも長く滝に入っていたかもしれませんが、私は滝行が大嫌いでした。だから二度と入りたくなかった。なんなら心のどこかで「こんなことやっても意味がない」くらいに思っていました。
自分が頑張ったことだけを切り取って人に自慢するのはたやすいことですが、続けられないことや、無理をしないと出来ないことというのは身につかないものだと、この年齢になればわかるようになります。
日々の積み重ねがその人を作っていくものだと思いますが、無理をしているつもりがなく出来て、しかも人よりも上手く出来ることがあれば、それがその人の持ち味になるんだなと、今になれば思います。
あのころの修行を振り返って、真面目に取り組んでいたつもりでも、どこかで人よりもやっている。自分が一番出来ている。という心持で臨んでいたことが少なからずあります。
そういう気持ちでやっていたことは、今の自分の中には積み重ねがあまり出来ていません。
よく、「若い頃にもう少し○○をやっておけばよかった。頑張っておけばよかった。」と後悔することがありますが、たぶんそう思うことの大半は、無理しないと出来なかったり、結局続かないことだったりするのだと思います。
「可能性」という言葉は魅力的ですが、無理な努力は自慢できないよ、と心に留めておくくらいがちょうどいいんじゃないかと思っています。
誰も頼まないでしょうが、頼まれても滝にはもう入りたくないです。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌