今週のごあいさつ

米がなければ、〇〇を食べればいいじゃない。

 本州を横断しそうな台風が近づいているようですね。こちらも台風の影響か、強く雨の降るときがありました。場所によっては被害の大きいところもあるかもしれません。

 大きな被害がないことを祈るばかりです。

 さて、猛暑や台風、あるいは地震など、様々な自然災害に悩まされておりますが、そういったことが原因なのか、米不足が深刻化しているようですね。

 全国ニュースでそういったことが話題になっているのは知っていましたが、先日地元のスーパーを見てみると、倉吉でもお米が品切れになっていて手に入りにくくなっていました。

 

 お米は日本人にとって主食なので、それが手に入りにくいとか、備蓄が尽きると思うと、焦りや不安がわいてきますね。

 じきに新米が出るということなので一時的なものなのかもしれませんが、長くこの状態が続かないことを祈っています。

 ところで、お米や小麦など、人間の主食と言われる食べ物があります。とりあえずこれがあれば飢えることはないという食べ物ですし、世界中で栽培されています。

 ただ、最近健康に対する意識が高まるにつれて、栄養学も幅広く知られるようになりました。

 それによると、人は主食だけ食べていても栄養不足で、肉や野菜、海藻や発酵食品などいろいろな食べ物をバランスよく食べなければ必要な栄養が摂れないとのことです。

 最近はサプリメントなどを使って、足らない栄養を補うことがスタンダードになりつつあります。

 こういうのを見て、主食だけでは栄養が足らない人間の体というのは面倒なものだなぁと思っていました。

 いろんな食材を毎日とるのは大変ですし、足らない栄養が何かを気にして、ものすごい量のサプリメントを飲み続けるのも、個人的には抵抗があります。

 主食だけで栄養が賄えることが出来ればよかったなのにな、と考えずにはいられません。

 ところが、最近目を通した本に書いてあったことを読んで、全くの思い違いをしていたことに気が付きました。

 そこに書いてあったのは、米や麦などを作る「農耕」が始まったのは、人類の歴史で考えるとずっと最近のことで(とはいえ1万年くらいの歴史はある)、農耕が始まるまでの長い間、人類はずっと狩猟採集を行っていました。果実や木の実を採ったり、狩りをしたりして食べるものを確保していました。その時には主食というものはなく、いろんな食べ物を幅広く摂取していたようなのです。

 そういう期間が長いので、人類はいろんな栄養素を必要とする体になりました。

 だから農耕が始まって主食と呼ばれる収穫高の大きい、一種類の食べ物に頼るようになると、どうしても体の仕組み上、足らない栄養素が出てくる。

 なので、主食に栄養が足らないというよりも、人間の体というものが、もともと多くの食べ物を摂ることがベースになっている動物だったのだということです。

 そういうことを知ると、食べ物に関する考え方も、ちょっと視点を変えることが出来そうです。

 お米が不足したり、高騰している昨今ですが、いたずらに不安を増やすのではなく、かえって主食をなくして色んな食べ物をバランスよく食べる実験をしてみてもいいですよね。

 米不足もいずれは解消されるのでしょうし、お米がなくても食べるものがあふれているような状況ですから。

 そのありがたさを感じるのもたいせつなことかもしれません。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。      合掌