今週のごあいさつ
祝いと呪い
先週は体についての話を書いたので、今週は言葉についての話を書きます。
「祝い」と「呪い」。両極の言葉のように見えますが、意味の元は同じことを表している、というのはご存じですか?
祝いはポジティブな言葉で、呪いはネガティブな言葉という印象がありますよね。
前に知人が、自殺の名所である富士の樹海には、渾身の文字で「祝ってやる!」と彫られている。と言っていました。本当は「呪ってやる」と書くつもりが「祝ってやる」と間違えてしまったというお話ですね。
本当かなぁと思いながら聞いていましたが、この世に恨みを込めた人が最後に「祝ってやる」と言ったのでは、かなりちぐはぐな印象を受けます。
ただ、先に書いたように、「祝い」も「呪い」も元は同じ意味です。
じゃあどういう意味かというと、「祝」も「呪」もどちらも「神に捧げる言葉」という意味でした。
「祝」という字は示に兄と書きますが、「示」は神に捧げる言葉である祝詞(のりと)を置く台をあらわし、「兄」は祝詞を上げる祭祀を表しています。
一方「呪」は口に兄ですが、この「口」は祝詞を入れる箱(「サイ」というらしいです)をあらわしています。
なんで「呪い」を神に捧げるのだろうと思うかもしれませんが、「呪」という字を「呪い」ではなく「呪文」の方だと思えば印象が変わってきますよね。
ただ、言葉の元が同じだとしても、現代では受け取る印象が真逆になります。
「祝」はハッピーな、おめでたい感じで、「呪」はダークな、おどろおどろしい感じ。
だけど、先に書いたように、どちらも「神に捧げる言葉」という意味で、究極的に言うと「祝」も「呪」も言葉なのです。
呪いと聞けば、夜中に藁人形にくぎを打ったり、何やら儀式めいたことをする印象がありますが、呪いというのは言葉をもってこそ効き目があるのです。
小さいころに友達から言われた何気ない一言が、ずっとコンプレックスとなって大人になっても引きずってしまったり、職場の上司に罵倒されたことで、その後の人生で自分に自信が持てなくなったりといった、人の心を正常なところから悪い方向に向かわせてしまう言葉を「呪い」と言います。
もちろん「祝い」も言葉です。小さいころに「かわいい」と言われたことで、それがどんなときでも自分を肯定するお守りみたいな言葉になったり、人から言われた感謝の言葉が、仕事をする上での何よりのモチベーションとなったり。
「呪い」とは逆に、自分が「いてもいいんだ」と思わせてくれる言葉が「祝い」です。
祝いも呪いもただの言葉にすぎませんが、条件が整うとすごく効いてしまうことがあります。死の間際の言葉が、生きている人をずっと苦しめることもあれば、プロポーズの言葉が二人を固いきずなで結ばせることもあります。
だからこそ、言葉は怖いものなのです。
人は会話をする動物なので、言葉なしにはコミュニケーションをとりづらいです。当たり前のように言葉を使うから、普段しゃべるときには何も気にせず口から言葉が出てきます。
だけどその何気ない言葉が時として人の心にとげとなって残ることがある。簡単に使える言葉だからこそ、言葉を発する責任を意識しておいた方がいい。
そんなお話でした。
どうせならトゲとなる言葉よりもお守りになる言葉を多く言いたいものですね。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌