今週のごあいさつ

憎しみにとらわれると

中学生の頃に読んだマンガで(それは妖怪を退治するマンガなのですが)物語のラスト近くに人間と妖怪が協力して巨大な悪の大妖怪をやっつけるシーンがありました。その中で味方の妖怪が悪の大妖怪を憎むあまりに最終的にその大妖怪と同じ姿に変わってしまうという描写がありました。

中学生の頃の私は「不思議な展開だなぁ」と思いながら読んでいたのですが、今あのシーンを思い出してみると、現実にそういうことってあり得るよな、と思うようになりました。

人間生きていれば人を嫌ったり憎んだりすることがあります。

気が合わないこともあれば迷惑をこうむることもある。理由は様々ですが嫌ったり憎んだりはままあることです。

そんな時に嫌ったり憎んだりしているんだからその人のことを考えないでいた方が気持ち的にはいいですよね。嫌いなんだから無視しておいた方がいいに決まってます。

だけど現実はそんなふうになりません。嫌っているから、憎んでいるからその人のことばかり考えてしまう。

以前にその人と交わした会話を頭の中で蒸し返して、「今だったらこんな風に相手を言い負かしてやろう」とか、「今度会ったらこんな風に言ってやって相手が悪いんだということをわからせてやろう」とか、現実には起こっていないことを頭の中でずっと繰り返してしまいます。そしてそれは相手を憎めば憎むほどその度合いが強くなっていきます。

冷静にそういう状況を見れば、心がとらわれているということがわかります。だけど自分がその渦中にいるとそのことがわからない。

憎むのであれば相手のことは頭の中から追い出してしまえばいいはずなのに、実際はその逆で頭の中がその人のことで一杯になってしまう。

姿かたちは変わらなくても、前述した妖怪を憎むあまり、その妖怪の姿に変わってしまうのと同じようなことになってしまいます。

(余談ですが、心の状態は真逆ですがこれと似たようなことで恋愛をしている時も、同じように相手のことで頭がいっぱいになりますね。だから「愛憎」というふうにセットで語られるのでしょうね。ちなみに仏教ではどちらも心がとらわれているのだと説きます。)

ただ、そんなふうに憎い相手のことで頭がいっぱいになってしまうのってもったいないですよね。考えない方がずっと健康的で建設的な考え方が出来るはずです。

だからもし自分がそんな心の状態になっているとしたら、まずは憎い相手に心がとらわれているという自分の心の状態を認識する必要があります。そうでなければ無意識のうちにその人のことばかり考える状況が続いてしまいます。

例えば嫌いな人のことを考えていると気がついたら、身に付けている腕輪や時計を逆の腕に付け替えたりするだけで気持ちの切り替えになるようです。簡単なテクニックですがやってみるとけっこう効果的です。

それから、憎い相手が本当に悪意をもってこっちに接している場合や、周到な犯罪に巻き込まれるような場合以外は、相手が本当に悪人であることは少ないです。では相手の何が悪いのか?それは結局自分にとって都合が悪いという場合がほとんどなのだと思います。

そして相手が自分にとって都合が悪いのと同じように、相手からしても自分が都合の悪い存在である可能性だってあるわけです。

そういうこともちょっと頭の片隅に置いておきたいことだなと思っています。

オリンピックを見ながら、相手国の人が別に憎いわけではないんだよなというところから何となく思いついたお話でした。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌