今週のごあいさつ
年齢関係なく変化は苦手
私が大学生に上がるくらいの時に、車のシートベルト着用の厳罰化が行われ、取り締まりも厳しくなりました。
今では考えられないことですが、それ以前は車の運転席のシートベルトをしない人も結構いたように記憶しています。今ではシートベルトをしていないと車が教えてくれるようになっていますが、昔はもっと規制がゆるかったんですね。たしか、高速道路に乗る時だけつければいい、くらいに思っていた人も多かったんじゃないかと思います。
ただ、そのような状態だと、死亡につながる事故も当然いまより多かったので、シートベルト着用を義務化して、現在のようにシートベルトをして当たり前、という状況にしていきたかったのだと思います。。
それで、今回はちょうどシートベルト着用の規制が厳しくなったころの話をしようと思います。
その頃私は京都のお寺に入って、お寺のお手伝いをしながら大学に通っていました。そのお寺には、位の高いお坊さんを送迎するための車があって、その車を運転する運転手さんが雇われていました。
わりと年配の運転手さんでしたが、たまにその運転手さんの詰め所に遊びに行くと、快く迎えてくれてお菓子やお茶も出してもらって、小一時間おしゃべりをする、なんていうこともありました。
その方は昔気質というか、頑固なところもあったのですが、ここ最近のシートベルト着用の義務化に何だか腹を立てているようでした。
その証拠に、原理はよくわからないのですが、シートベルトに細工をして(もちろんやったらダメなことです!)、ベルトを伸びっぱなしにさせておいて、そのベルトに安全ピンを付けてシートベルトをしているように見せかける。という何だかヘンテコな抵抗をしていました。
素直にシートベルトした方が手間が少ないだろうに、と思うのですが、その人の中では、今までよかったことを急に規制されて、それに従うことを、言い方は難しいのですが、屈辱と感じているようなふしがありました。
ただ、その後シートベルト着用が当たり前の世の中になってくると、その運転手さんもちゃんとシートベルトをしていました。
それで、何で今そんなことを思い出したのかというと、このコロナ騒ぎが起こったころ、都会では感染が拡大しているけど、まだ田舎の方ではほとんど感染者も出ていなくて、だけど全国的にマスクの着用が義務化されていく中。私自身も「なんで毎日こんなものつけないといけないんだ」とちょっと抵抗したというか、嫌な気持ちになったのが、あの運転手さんのシートベルト着用拒否の気持ちに重なるな、と思い出したので書いてみました。
人間ってやっぱり変化が苦手なんでしょうね。特に自分から望んだ変化ではなく、半ば強制的に変化させれるようなことなんかは、すごく抵抗感がある。
私はお坊さんなので、ここで安易に「諸行無常 変わるのは当たり前」と言ってしまえば丸く収まるのですが、頭ではわかっていても、実際そういう状況になると、自分もやっぱり抵抗感が出るんだなということはちゃんと覚えておこうと思って、こんなことを書いてみました。
とはいえ、変化を嫌がる=苦しみ なんですよね。だから諸行無常が心から理解できれば苦しみが無くなる。仏教のこういう教え、憧れますよね。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌