今週のごあいさつ
山の修行に行ってきました
先週の土曜日と日曜日に、奈良の大峯山花供入峰修行という山に上る修行をする行事に参加してきました。
コロナ以降なかなか行く機会がなく、5年ぶりの修行となりましたが、何とか無事に戻ってくることが出来ました。
例年この時期はすでに梅雨入りしているので、山中で雨が降ったり、むしむしと暑かったりすることが多いのですが、今年はまだ梅雨入りしておらず、少し肌寒くはありましたが、スッキリと晴れ渡って、いつもより景色が鮮やかに見られました。
修行の出立が午前3時からなので、暗闇の山に入り、足元に気を付けながら一歩一歩上っていく。途中でだんだんと明るくなり始めると、気持ちも少しほっとしてきます。
5年のブランクがあるので、距離感がわからなくなっていて、あのポイントまでもう少しと思っていてもなかなか着かなかったりすると、余計に疲れるような気がしました。
もちろん5年分歳を重ねたので、体力の衰えもあるのでしょうが、距離感がなく、ペース配分が狂うことの疲れというのを、今回痛いほど実感しました。
そう考えれば、最初に大峯山に登った時、まだ20代前半でしたが、いつまで歩くのか、どこがゴールなのかが分からず、上り終えたときには体がへとへとになっていたので、体力もさることながら、ペース配分が出来るということは、肉体的にも精神的にもかなり影響があるのだろうと思います。
ちょっと話は逸れますが、大変なこととか苦しいこと、つらいことがあったとき、「これがいつまで続くのだろう」と不安になって、余計に心身に負担がかかることがあります。
こういうことも、経験的に「このくらいですむだろう」とある程度の目星がつけたり、あるいは見方を変えて不安になりすぎないようにすることが出来れば、心身も楽になります。
何事も距離感とかペース配分が大事になりますね。
そんなこんなでなんとか山上に上がり、おつとめをして、無事に降りてくることが出来ました。
正直に言うと、ブランクもあって体力的な不安もありましたが、自分の中で山への恐怖感というのもいつもより膨らんでいて、「もしなにかあったらどうしようか」、「滑落することもあるんじゃないか」と山に入る前には怖さが常に頭にありました。
ただ、幸いなことに一緒に山に入る仲間が大勢いましたし、いざ山に入れば歩くことに一生懸命になって、かえって頭がすっきりするので、あまり怖さを感じることもありませんでした。
ただ、山の修行の心得として、山という異界に足を踏み入れることは、一度死ぬことで、そこから帰ってくることで生き返ることが出来る。難しい言葉でいうと「帰峰再生(きぶさいせい)」というのですが、少なからず死を覚悟しながら修行に入り、無事に戻って生まれ変わった感覚を持つというのは、今回特に感じられたような気がします。
「あの時死ぬ気でやったのだから、これくらいのことは頑張れる」
単純に言えばこんな感覚かもしれませんが、日常の中の大変さだとか面倒くささなんかは、しばらくの間、こんな気持ちで乗り越えられそうな気がしています。
とりあえず、無事に戻ってこれることが出来てよかったです。気持ちを改めてまた頑張ります。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌