今週のごあいさつ

多様性社会は親切であること

 肌寒さもありますが、いいお天気になりました。先週は寒い日が続きましたが、今週は温かくなりそうです。この時期は温かくなったり寒くなったりを繰り返すので、また寒い日も来るのでしょうが、これからは日に日に春に近づく季節の流れになります。境内の緋寒桜や梅の花も、階下の準備を進めています。つい先日まで同じ場所に雪が積もっていたなんて信じられないですよね。

 さて、先週多様性についての文章を書きました。人種や国籍、性別や宗教、性的指向など、みんなそれぞれ違うことを認め合う社会を作ろうというのが多様性の社会ですが、仏の視点で見ると、人間同じ悲しみや苦しみを背負っているんだという話でした。

 人の視点にしろ、仏の視点にしろ、お互い敬いあい、慈しみあえる社会にならなければいけないのだと思います。

 では、お互い敬いあうとは具体的にどうすればよいのでしょうか。

 これは前にも書いたことがあるのですが、「敬い」という気持ちを具体的な行動にしようと思うと、「親しみ」と「丁寧さ」が必要になると思っています。

 親しみ。相手が自分と違っても(または同じでも)心に壁を作らず親しみをもって接する。

 丁寧さ。相手が自分と違っても(または同じでも)丁寧な言葉遣い、丁寧な行動を心がける。

 親しみだけがあっても、かえって馴れ馴れしくなることもありますし、丁寧なだけだと壁を感じることがあります。

 敬いの気持ちがあれば、おのずと親しみと丁寧さがついてくるのではないかと思っています。

 そして親しみと丁寧さがあれば人に親切にできる。だから多様性社会というのは誰にでも親切にできる社会なのかなと個人的には考えています。

 まずは前提として誰に対しても敬いの気持ちを持つ。そのためには人はそれぞれ違うということをしっかりと心にとめておく。あるいは誰でも自分と同じような悲しみや苦しみを背負っていることを心にとめておく。そうすれば〇〇だからこの人はダメだとか、自分より下なんだと思わない。

 そして敬い気持ちを作れていれば、あとは誰に対しても親しみと丁寧さを出せるよう練習をする。具体的には、親しみと丁寧さを出すことに照れすぎないということ。「こんな風に接したら、こう思われるかも」と考えすぎると行動に移せなかったりしますからね。

 それが出来るようになると、今よりずっと人に親切にできるようになるのだと思っています。

 ただ人間同士、親切にしても思っているようなリアクションが返ってこない場合もあります。それはそういうものだから仕方がない。

 だけどそれで心が折れてしまうのはもったいないので、もしよければ、まずはその親しみと丁寧さを神仏に対して向けてみてはどうかと思います。

 寺社仏閣にお参りに行き、感謝の気持ちをもって手を合わせる。あるいはお墓参りや仏壇に手を合わせる。その時の気持ちを人に対してももってみる。これができれば段々と敬いの気持ちが身につくのではないかと思っています。

 良ければお寺にお参りして、その気持ちを養ってください。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。         合掌