今週のごあいさつ

喜ぶ顔が見たいから

 今年も残すところわずかとなりました。毎週日曜日に更新しているこの文章。来週今年最後の日曜日がありますが、すぐにお正月となり、そこで新年のご挨拶を更新するので、年内のご挨拶は今週で最後となります。

 ちらほら読んでくださる方もいらっしゃるようで、今年も一年ありがとうございました。

 今年の夏も暑かったですが、さすがに年末ともなると冷えますね。天気予報で雪マークがつくことも増えてきました。正月3が日は降らないことを祈ります。

 お寺はお正月の準備に日々追われておりますが、小さい子どものいる我が家はクリスマスのことも気にかけなければいけません。

 欲しがっていたゲームソフトにするのか、取り合いになるゲーム機本体も必要かな、女の子にはキャラクターグッズにしようか、などなど、子どもにやんわりとリサーチしつつ、時機を見てネット注文をして、ラッピングの準備もして。と隠密行動をやっております。

 そんなことをしつつも、頭の片隅では「ゲームを買うとそればっかりになっちゃうよな」とか、「キャラものは熱が冷めると見向きもしなくなるよな」など、ちょっと先を見てしまうこともあります。

 それでも毎年せっせとクリスマスの準備をしてしまうのは、結局子どもの喜ぶ顔が見たいからなんだよな、という結論に至ります。

 親として、子どもが喜んでいる姿を見るのは嬉しい。

 休日のお出かけも、記念日のプレゼントも、一緒に遊ぶのも、突き詰めると喜ぶ顔が見たいからやっているのだと思います。

 でも考えてみると、何もそれは子どもに対してだけではないことに気が付きます。

 自分が何かをする動機として、誰かに喜んでもらいたいからと思ってやっていることは、かなり多いんじゃないかと思います。

 今年挑戦してみた「からだ健康マルシェ」も、来てもらう人も、受け入れる人もみんなが喜べるものにしようと思ってやりましたし、この文章も、読んでもらえる限り、誰かの心に刺さればいいと思って書いています。

 日々の祈願もご供養も同じようなつもりでやっています。

 そういえば先代院主は何度も「お参りしてくれた人が喜んで帰ってもらえるお寺にしなさい」と言っていました。

 やっぱり、喜んでもらうというのは、とても強い動機になるんだと思います。

 そしてそれは、お寺だけのことではなくて、どんな仕事でも、どんな人間関係でも、根っこのところには「喜ぶ顔が見たい」があるんじゃないかと思っています。

 ただそれが、売り上げとか効率とか、もっともらしい理由に埋もれてしまうこともあります。

 だけど本当は、すごく単純に「喜んでもらうと嬉しい」なんです。なんかもっと当たり前に、みんながそれを目指せるといいですね。

 今年一年、お寺に来た人がどれほど喜んでくれたのか。たくさん喜んでもらえたなら、お寺にとって良い一年でした。そして来年もたくさんの人に喜んでもらえるように、続けて精進してまいります。

 今年も一年、ありがとうございました。

 来年もどうぞよろしくお願いします。                   合掌