今週のごあいさつ
命を守るということ
節分祭の参拝中止のお知らせも行きわたったようで、「お参りできないのは残念だ」という連絡をたくさんいただきます。こちらとしてもあれだけ盛り上がる行事を中止にすることは残念で仕方ありません。一日も早くこの悪化し続けている状況が終わればいいのですが。
お申込みいただいているお札はしっかりとご祈願いたします。その模様を動画にて配信しますので少しでも節分祭の情緒を感じてもらえればと思っています。
祈願のお参りに来られる方と一言二言の雑談をするのですが、どのようなお仕事でもコロナウイルスのあおりを受けているのがわかります。ニュースなどでは飲食店や旅行関係のお仕事が取り上げられやすいですが、それ以外の業種でもほぼもれなく影響を受けているのが実感できます。
そして医療のひっ迫もたびたびメディアで取り上げられています。医療体制の崩壊、病床数の問題、そういったことが連日報道されています。
ただ、これは直接聞いたからこそ知ったことなのですが、看護師さんで鬱になる人がとても増えているようです。目の前で重症の患者さんが次々と亡くなっていったり、あるいは自分にも感染のリスクが増えたりする状況です。自分が感染すれば家族にもうつしてしまうかもしれない。そういった状況の中、気持ちを平常に保てない医療従事者が増えているのだそうです。
考えてみれば当然のことなのですが、そうと聞くまでは医療の崩壊というのは単に病床数が確保できないとか、医療者の手が足らないということなのだと思っていました。
病院で働いている人の心がもたない。内側から崩れていってしまうこと。それが医療の崩壊なのだと感じました。
それで、もし自分が医療の現場側の人間だったら、今の世間の状況をどう見るでしょう。
おそらく感染のリスクを上げるような場所に自ら行かないでほしい。自分勝手に自分の都合だけで感染を拡大するようなことはしないでほしい。そんな自分の都合だけで感染した人のしりぬぐいを自分たちに押し付けないでほしい。そして何よりそういった動きをさせないよう国や自治体がもっとしっかり制限をかけてほしい。自分と自分の家族を危険にさらしてまで医療の仕事を続ける自分たちを誰が守ってくれるのだろうか。誰もが自分勝手に動いてしまえばいったい誰がこの命を守るのだろうか。自分ならそう思うと思います。
そして本当であれば医療従事者の方々も投げ出そうと思えばその仕事を投げ出すことだってできるはずです。だけどそれをしないという選択をする人たちはたくさんいる。
そういった決断をする人たちの負担を少しでも軽くするために私たちはもう少し我慢をしないといけない。
先にも書いたようにどんな業種でもこの状況のあおりを受けないことはないようです。それぞれのお仕事で負担はたくさんあるのでしょう。だけど命の瀬戸際を守る人たちがつぶれてしまえばだれも命を守れなくなってしまいます。それはウイルス感染だけではなく通常の病気やけがなどでも。
大げさな言い方かもしれないですが、収入を守るよりも命を守ることを最優先にするという意識をみんながもたなければ、この状況は乗り越えられないのかなと思ってしまいます。
そしてそのように意識できる余裕をもつために国や自治体がフォローしてくれなければいけないのだとも思います。
だって、政治家はいったいどこに忖度してこの状況を乗り越えようとしているの?って思っちゃいますよね。
お寺としてもこの不安な気持ちを少しでも和らげられるよううな取り組みをしていきたいと考えています。いずれ環境が整いましたらまたそのご報告もいたします。しばしお待ちください。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌