今週のごあいさつ
俺はいいけどYUZENは何て言うかな
先週からの続き
お坊さんは俗名と僧名の二つ名前を持っていて、僕はその二つを状況によって使い分けて、自分自身を励ましたり慰めたりしているという話を書きました。
今週はお坊さんじゃなくてもそういったことは出来るんじゃないかという話を書きます。
人は自分のことは自分が一番わかっていると思いやすいです。それはなんでかというと、自分の中の声を聞いているのは自分一人だけだからです。
自分の中の声とは、「思考」とか「感情」といったものです。それは他人には聞こえるものではないので、自分自身をわかっているのは自分だけだと思うのです。
だけど、その自分の中の声がいつも正しい言葉を発しているというわけではありません。場合によっては「面倒くさい」とか「やり始めるのが怖い」とか「好きじゃないから嫌だ」といった前向きじゃない言葉も多々聞こえてきます。
当の本人はその声を一番聞いていますし、その影響でやらなければいけないことをやらなかったり、受け止めた方がいいことから逃げてしまったりもします。
そういったことを自分が一番よくわかっているから、人はいまいち自分に自信が持てなかったりするんですよね。
だけど本当は良いことだってたくさんしているし、積み上げてきたこともあるわけです。それが「自分の中の声」を含めたトータルの自分で考えてしまうと、自分のいいところがなかなか思い出せなくなってしまうのですね。
だから名前を使い分けて、「裕全は色々頑張っている」とか「裕典はいまちょっとくたびれている」といった具合に、自分をちょっと分離させてみた方が生きやすいんじゃないかなと最近思っています。
それで、これは考えてみると「役割」の話だったりするのです。
「裕全」というのはどちらかと言えば社会的な責任を負う役割。「裕典」はもっとプライベートな役割。これらを分けてみたら仕事でしたミスを個人としての欠点と思い込まなくて済むし、プライベートな悩みがあっても仕事に影響が出にくくなる。
それで、お坊さんじゃない一般の人たちは、この役割で自分を分けてみたらいいんじゃないかと思うのです。
役職名があるなら例えば「部長」とか「課長」、あるいは職場で呼ばれている「○○さん」でもいい。
家庭でいえば「お母さん」とか「お父さん」も役割です。そういう役割と個人的な自分を分けて考えれば、「お母さんはちゃんと頑張っている」とか「部長はしっかりやれているぞ」と自分で自分のことをもっと認めてあげられると思うのです。
それで、こういったことを自然にやれる人が矢沢永吉さんです。
矢沢さんの伝説の一つに、スタッフに是非の判断を問われた時に「俺はいいけどYAZAWAは何て言うかな」と答えた、という逸話があります。
これ普通に聞くと、「いや、矢沢はあなたでしょ?!」ってことになりますが、これも役割の話で、「俺」はプライベートも丸々含めた矢沢永吉本人で、「YAZAWA」はみんなが思うスーパースターの永ちゃんのことだと思うのです。
それらを使い分けるから、何万人が注目するステージでずっと活躍が出来るのでしょうね。こういう気持ちの整理を自然と出来ているのがやっぱり一流の人なんだなと思います。
僕もいつか「俺はいいけどYUZENは何て言うかな」と言ってみたいのですが、たぶんすごく白けた目で見られるのだろうな。
みなさんも矢沢永吉になる必要はありませんが、少し自分を客観的に見ることで、他人の評価で自分をはからず、自分で自分を認めてあげられるようになってきます。自分に優しくあるというのはとっても必要な技量ですよね。少しずつでいいからその技量を身に付けていきたいものです。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌