今週のごあいさつ
今年も3月11日をむかえて
3月に入って急にあたたかくなって、気温も20度を超える日が出てきました。わざわざ思い出してみるならば、ひと月前には道に雪が積み上げてあったのに、今では多めに買い置きしてある灯油をどうやって消費しようか悩んでいるくらいです。季節ってこんなに目まぐるしく変わるんですね。
今年も3月11日がやってきました。今年で12年目なんですね。干支が一回りし、回忌の数え方で言えば今年が十三回忌にあたります。
12年前を思い出すと、連日テレビで流れる東北の悲惨な状況を見て、胸を痛めると同時に、何もできないことの無力感や、自分たちが何事もなく生活が出来ていることに対しての申し訳なさを感じていたように思います。
きっと多くの人たちが同じ想いをしていたのでしょう。昨日ふと思い出したのですが、震災から何日か後、とりあえずでも出来ることをしたいと思って義援金を振り込みに行ったのですが、その時に受付をしてくれた窓口の人にお金をわたしたら、「あっ」という顔をして、少し迷いながらも「ありがとうございます!」と深々とお礼を言われました。
もちろんその人は東北の人ではないですし、その人のお金になるわけではないのですが、預かったお金を確かに被災地に届ける、そういう立場としてのお礼だったのかなと思います。
そんな風に、誰もが何か出来ることがないかを考えて、苦しくもがいていた時期だった気がします。
昨日、3月11日に供養のおつとめをしながら、自分はあれから12年生きたんだな、ということが頭に浮かびました。本当に突然に、何の覚悟もないままたくさんの命が失われた日から数えて12年。なんのめぐりあわせか、自分は命を失うような災害にはあわずに、あれからの12年を生きることが出来ました。そのことにどんな意味があるのでしょうか?
生きる意味は何か?と問われても簡単に答えることはできません。むしろ「生きる意味なんてない」と言ってしまった方が難しいことを考えずにすむんじゃないかと思います。
だけどたくさんの命が亡くなったあの日から12年も生きて、その命の時間が意味のないものだとは言いたくない。
私はよく法事のあとに、「供養をするというのはお坊さんが衣を着てお経をおがむことではなくて、亡くなってしまった命の分まで自分がいい生き方をして、そして亡くなってしまった命の徳を高めてあげることだ」とお話をします。
12年前は何もできず、ただオロオロとしていましたが、この12年の間に積み上げた徳が少しでもあるのなら、あの時亡くなった命の徳に、つながっていてほしいと願っています。
十三回忌を迎える魂を導いてくださる仏さまは、この宇宙の根源の仏様である大日如来様です。
大日如来様が、あのたくさんの命を、苦しみのない穏やかな場所へと導いてくださることを心より願っております。
合掌