今週のごあいさつ

人の視点と仏の視点 多様性を考える

 寒かった2月が終わり、あたたかな3月に入りました。今日から天気が崩れ、またしばらく寒い日が続くようですが、あの長い寒波のことを思えば十分に春の訪れを感じられる気候です。

 例年2月は他の月と比べて日数が少ないので、いつも早く過ぎるように感じますが、今年は長い寒波が2回もあって(そのうち一回目は節分祭にかぶっていました)、それが早く終わることを願う日が多かったからか、例年に比べると2月が長く感じられました。

 寒さと緊張からようやく解放された3月。気持ちに余裕を持てる時間になればいいなと思っています。

 さて、ここ数年で「多様性」という言葉をよく耳にするようになりました。

 多様性。人種、国籍、性別や宗教、性的指向などの違いを認め、受け入れるといったことでしょうか。これまでの時代では長くこの違いが受け入れられず、差別や迫害が起こっていました。

 人間どうしても「違い」を受け入れられない性質があり、自分が正しいと思いたいし、自分が属しているコミュニティが他よりも優れていると信じたいものです。

 そういったある意味本能的な思いを、これからの時代においては「多様性を認める」という文化を育み、悲しいトラブルをなくしていこう、という動きが世界的に起こっています。

 この理想を実現させるには「人はみんなそれぞれが違う。そして違うことは悪いことではないし、違いによる優劣はない」ということを確かな文化として成熟させる必要があるのだと思います。

 今はまだ多様性という言葉をわざわざ使わなければ意識できない概念かもしれませんが、のちのち意識することもなく違いを認められる社会になるといいですね。そのためにまずは自分も無意識の思い込みを改めていかなければならないと思っています。それは口で言うほど簡単なことではないのかもしれませんが。

 さて、多様性について、「みんなそれぞれが違う」と書きましたが、これは人間の視点からの考え方になります。ではもし、仏さまから人間を観察したとしたらどうなるでしょう。

そう思って考えてみると、人の視点と真逆で「みんなが同じ」になるのではないかと思います。

 では何がどう同じなのかというと、「みんなが同じ悲しみや苦しみを抱えている」ということから同じとみていると思います。

 その同じ悲しみや苦しみは何かというと、誰もがずっと同じ状態が続くわけではない。だから、いい時はずっと続かないし、いつかは大切な人やものを失うし、自分も老いて、病気になって死んでしまう。ずっと得続ける人生はなく、どうしても失っていかなければいけない。

 そして生きるということは自分の都合通りいかないことだらけだということ。一生懸命頑張ったり、正しく生きるよう努めても、うまくいかないことはたくさんある。

 もちろん頑張ることや正しくあろうとすることは、とても大切なことだけれど、だからといって、何事もうまくいくわけではなく、むしろそういった努力を通して、うまくいかないときの心の持ちようを学んでいくことが生きていく上ではとても大切になります。

 そのように、誰しも失わない人生はないし、都合の悪いこともたくさん起こる。それが人の抱える悲しみや苦しみです。

 たとえ人種、国籍、性別や宗教、性的指向などが違っても、これは誰もが抱えている。同じ悲しみを持っている者同士だからこそ、お互いいつくしみあうことが必要だ。

 これが仏の視点なのではないかと思います。

 これからどんどん進む多様化の時代。仏様の視点をもって眺めてみるのも大切かもしれませんよ。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。        合掌