今週のごあいさつ
人のいいところを素直にいいなと思えたらいいな
ここ最近コロナウイルスの新規感染者が減少傾向にありますね。鳥取県は感染者0人の日もあって、まだ気を抜く時期ではないのでしょうがホッとしています。
ワクチン接種者が各地域で5割を超え始めているようなので、やっぱりワクチンの効果が出てきているのでしょうか。ただワクチンを打たないと決めている人もいるようなので接種率が100パーセントになることはないようですね。
ワクチンを打つ・打たないは自由なので、そこは個人の裁量にゆだねるべきだとは思うのですが、このコロナ渦において人の色んな側面を見ることになったなと思っています。
どういうことかというと、私の周りではワクチンを打った方がいいと思っている人はワクチンの効果についての情報をよく知っています。
逆にワクチンを打たない方がいいと思っている人はワクチンの副反応やデメリットについての情報をよく知っています。
そしてお互いの情報を公平に見比べる人はあまりいません。打つにしろ打たないにしろ語られる話はどちらかの方に偏っています。
それで、これはどちらが正しい、正しくない、の話ではなくて、「人は自分の見たいものを見るんだ」ということがよくわかる出来事だなと思っています。じぶんが「こっちの方がいい」と思っていることについて、人はその思いの正当性を固めるようなことの方を見がちになる。
そういう人の習性みたいなものが、コロナ渦のような異常事態になるとより顕著に見えてくるような気がします。
ちょっと言い方がややこしくなってしまいましたが、例えば自分が嫌いな人の「いいところ」って認めづらいですよね。いいところは見て見ぬふりをして悪いところに注目するようにしてしまう。
本当は「優しい」だったり「ちゃんと努力をしている」だったり「自分にはない力を持っている」だったり色々いいところはあるはずなのです。
ただ何の縁か、自分とは合わず、あまり好きな人ではない。そういう人に対して、「嫌い」という感情を脇に置いておいて、公平にいいところを認めることはかなり難しいことだと思います。
出来れば「嫌いな人」=「誰が見ても悪い人」であった方がやりやすいのでしょうが、実際は、私がその人を嫌いだからと言って、その人が世間的にも悪い人である、というケースは少ないものです。だけどどうしても「嫌い」が先に立ってしまい、その人のいいところよりも悪いところばかりに目を向けてしまう。
まさに「自分の見たいものを見る」になってしまいます。
僕個人的には嫌いという感情はあっても、いいところや憧れるところは素直に認められるような「おおらかさ」を持てたらいいなぁと思っています。
コロナという異常事態になると、「ワクチンを打つ・打たない」「自粛中に外出する・しない」といった具合に簡単に二極化にして善悪を判断しすぎてしまっているようなきがしますが、なんかもう少し二極の間に「余地」みたいなものがあったほうが、息苦しくなくてすむよなと思っています。
コロナとは直接関係がなくても、この出来事から学べる何かはたくさんあるのではないかと思っています。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌