今週のごあいさつ

久しぶりに、どうでもいい話

 お寺のお堂には内陣・外陣といって、お坊さんがおがむ場所と、参拝者がお参りする場所に分かれていて、その内陣には大檀(だいだん)という大きな机が中央にあります。

 その大檀の上には仏器といって、仏さまを供養するための様々な道具が置いてあります。

 その仏器というのはだいたい真鍮(しんちゅう)で作られていて、ピカピカの金色です。ただ真鍮は時間が経つと表面がくすんできてピカピカではなくなってきます。また仏器を使って仏様を供養することが多いと、汚れるのが早くなります。

 そこで定期的に仏器磨きと言って研磨剤などをつかって仏器を磨き、ピカピカの状態に戻します。この仏器磨きはけっこう時間のかかる作業なので、お堂が多く仏器の数が多いお寺はわりと大変だと思います。

 とはいえ室内で使うものなので、そんなに頻繁に磨かなくてもそれなりにきれいな状態は保てます。

 ただ、屋外で真鍮を使っているところは屋内よりももっと汚れやすく、金毘羅院の場合は永代供養墓の還阿堂(げんあどう)の中心に取り付けている梵字の「阿字」がそれで、どれだけ磨いても雨が降ったり雪が降ったりすると水アカがついてすぐに汚れてしまいます。

 お天気の日が続けば磨いた後もしばらく輝きがもちますが、合間に天気が崩れるともうダメなので、磨くタイミングなんかも難しく、特にこの冬の時期は磨けないことが多いです。

 そんな屋外の真鍮事情なのですが、テレビを見ていて感心するのが、警視庁の門標というのでしょうか、門のところに「警視庁」と書かれている素材が真鍮なのですが、それがたまにニュースで映ると、いつ見てもピカピカに磨かれているのです。

 屋外の真鍮なので、絶対にすぐ汚れるはずなのに、いつ見てもピッカピカの状態。ということは、これは毎日誰かが磨いていて、そしておそらくそれは新人の仕事なのだろう、とテレビで見るたびに思っていました。

 新人警察官が先輩から「警視庁の表看板をピカピカに保つ大切な仕事なんだぞ。」と代々受け継がれてきたに違いない、とテレビに「警視庁」の文字が映るたびに勝手な想像をはたらかせていました。(もしかしたら専門の清掃業者さんがやっているのかもしれませんが、それだとちょっとつまらないので)

 新人の警察官は「警視庁」の文字を磨きながら、初めのうちは「自分はこんなことをするために警察官になったわけじゃない」なんて思うのですが、徐々に「警視庁の文字を磨くことは、警視庁という看板の一端を自分が背負っているということなんだ」という責任感に目覚め、後々「あの警視庁磨きがあったから今の自分がいるんだ。」と後輩に語れるくらい大事な仕事だと自覚するようになるのだろう。なんてことまで妄想をして、一人うんうん頷いてみたりしていました。

 ところが最近、警視庁の門標がニュースに映ったのを見かけたのですが、なんと「警視庁」の文字にプラスチックのカバーがされて、雨風からしのげるようになっていました。

 おそらく、作業の効率化とか、経費削減とか、人手不足とかそういった今風の理由があるのでしょうが、あの代々受け継がれてきた(と想像される)門標磨きがそんなに頻繁にしなくてもいいようなことになっていました。

 そりゃあその方が楽だよな、と思いつつも、やって悪い仕事じゃないんだけどな。なんて同志がいなくなってしまったような寂しさを勝手に感じています。

 2月が終わりお彼岸も近づいてきます。お天気のいい日を見計らって、お墓の阿字を磨こうと思っています。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。        合掌