今週のごあいさつ

不慳貪(けちじゃないぜ)

 『ぐりとぐら』という有名な絵本がありまして、私も子どもの頃に読み聞かせしてもらった思い出があるのですが、そうとうなロングセラーでいまだに読み続けられていて、今度は私が自分の子どもに読み聞かせをしていて、なんだか感慨深いです。

 ご存知の方も多いでしょうが、どんなお話はというと、野ねずみのぐりとぐらが森で大きな卵を見つけます。それを使って大きなカステラを作るのですが、作っている途中にカステラのいい匂いに誘われて森の動物たちが集まってきます。ぐりとぐらは集まってきた動物みんなにカステラを振舞って、みんなでおいしく平らげます。そして最後に割れた卵の殻を使って乗り物を作ります。

 

 そういうお話なのですが、青と赤の服を着たぐりとぐらのデザインも素敵ですし、リズムに乗っている文章もよくて、長く読み続けられているのも、なるほどと納得します。

 そんな『ぐりとぐら』のお話で、カステラのにおいに誘われた動物たちに対して、ぐりとぐらが「けちじゃないぜ ぐりとぐら」というシーンがあります。自分たちが作ったカステラを独り占めするんじゃなく、みんなと一緒に食べよう。という意味で「けちじゃないぜ」というのですが、私はこの「けちじゃないぜ」というフレーズがすごく好きなんですね。

 自分でも機会があれば言ってみたいくらいです。

「けちじゃないぜ」  いいですよね。

 人間生きていればケチになっちゃうときもあります。お金や物を惜しむ「物惜しみ」もすれば、パッと自分で動かない「骨惜しみ」をすることもある。

 それで、例えば物やお金に余裕があれば物惜しみもしないし、時間や体力に余裕があれば骨惜しみもせずにいられるんだけどな。と考えたりもします。

 だけど本当は逆で、「これをあげるともったいないな」とうじうじ悩まず、ぐりとぐらみたいにパッと人にあげられる「きっぷのよさ」があった方が気持ちに余裕ができますし、「今動くの面倒だな」ととどまらず、パッと行動したり、ひと手間加える親切心みたいなものを発揮した方が、自分の心に余裕が出来るんじゃないかなと思うのです。

 結局「余裕」というのは目に見えるものじゃなく、自分の心のゆとりのことなんですね。

 仏教では「貧(とん)」という、むさぼりや欲求の心を毒だと考えます。この「貧」に対して「不慳貪(ふけんどん)」、「けちけちしちゃいけないよ」という戒めを持つように促します。

 これはきっと、むさぼりのこころを持つと心がケチになって、結果的に心の余裕を奪うから、不慳貪という戒めがあるんじゃないかと思っています。

 

 物惜しみや骨惜しみをしてしまう状況は、日常的にたくさんあると思います。そんな時に、「本当は快くあげられたらいいんだけどな」とうじうじ悩む前に、「けちじゃないぜ ぐりとぐら」を思い出して、パッと行動に移せたらいいなと思っています。

 重たすぎなくていい言葉ですよね。「けちじゃないぜ」

 みなさんもぜひ使ってみてください。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。          合掌