今週のごあいさつ
おばちゃんに怒られた話
よくアスリートや著名人が「自分の人生を変えてくれた一言」みたいなのを紹介することがあります。ああいうのっていいですよね。人からもらった言葉をお守みたいにできるというのは心が豊かな気がします。
だけどこういうことってわりと難しくて、かけてもらった言葉がすごくいい言葉でも、その時の自分に響かなければ「心に残る一言」にはならないんですよね。タイミングみたいなものが結構重要になると思います。
それで、僕にもそういう言葉があるだろうかと思い返してみたのですが、そういえば折に触れて思い出す言葉がありました。今日はその紹介をします。
僕は高校を卒業して京都の仏教系の大学へ進学しました。その時、下宿はせずに京都の歴史あるお寺に入ってそこのお手伝いをしながら大学へ通うことにしました。国宝や重要文化財の建物・仏像のあるお寺だったので観光参拝も多くあるお寺でした。
広いお寺なのでお坊さんだけではなく拝観の案内をするおばちゃんたちも雇われていました。
ある日そのおばちゃんの一人に「お堂にホコリが積もっているってお客さんから指摘されたから掃除をしたほうがいい。」と言われました。その時、二十歳そこそこの僕は「すごく古いお堂なので、ここにつもっているホコリも歴史あるホコリなんですよ、って観光客に言えばいいんじゃないですか。」と軽口をたたきました。今考えてもそんなに面白くないし、なにより無責任で生意気な発言ですよね。恥ずかしいことです。
するとおばちゃんに「何言うてんねん!あんたおぼんさんやろ!」ってすごく怒られました。
若い頃って怒られたら、自分が悪いと思うより、怒った相手が悪い、みたいに考えがちになります。ただその時は素直に「あぁ、そうだよなぁ。」と反省しました。おぼんさんがお堂を汚いままにするのは良くないよなと。
それからこの「あんたおぼんさんやろ!」が折に触れて思い出す一言になりました。
最近は「男らしく」や「女らしく」のように「○○らしく」と言うことは良くないことだと言われるようになりました。確かに先入観や決めつけて人を縛ってしまうのは良いことだとは思いません。
ただあの時おばちゃんにいわれた「おぼんさんやろ」は自分の中にある僧侶像にとっても、「そうありたくない姿」だったから、素直に反省したのだと思います。だからその後もいろんな場面で、この「おぼんさんやろ」を思い出して「今の自分の姿」と「こうありたいと思うお坊さんの姿」を比較するということを、思い返せばやってきました。そう考えると確かにこの「あんたおぼんさんやろ!」は自分に影響を与えた言葉ですね。
で、ちょっと思ったのですが、この言葉は誰でも使えるはずです。
面倒だったり、一歩踏み出す勇気のない時に「何言うてんねん!あんた○○やろ!」と。
この「○○」の中に自分の役割を入れて頭の中で言ってみると、「今の自分の姿」と「こうありたいと思う自分の姿」を比較できる。そうすることで、「そうだよなぁ。私○○だもんな。」と自分を奮起できる。そんな言葉としてつかえるのではないでしょうか。よかったらお試しあれ。
「何言うてんねん!あんたおぼんさんやろ!」それが私のパワーフレーズ。
思った以上にかっこ悪いですね。でも「おぼんさん」って言い方が京都らしくて僕は好きです。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌