今週のごあいさつ
あれから9年たちました
10月なのに半袖で過ごすことの多かった10月上旬でしたが、今週からグッと寒くなるようですね。季節の移り変わり方が急ハンドルをきるような感じに変わってきましたね。
お釈迦様は「諸行無常」を説かれ、「この世は常に変化し続けている」と言われましたが、最近は変化の仕方が早すぎて、気候変動にしろ、テクノロジーの発達にしろ、20年前、30年前と比べたらガラッと変わってしまいましたよね。
生活様式も、それに伴う生き方への考え方もすごい速さで変化していて、一つの考えに長く落ち着くということが出来なくなりました。
そりゃあ毎日忙しく感じるよな、と改めて思います。たくさんの情報が常に入ってきて、それに振り回されるように毎日が過ぎていく。人は昔よりずっと長生きするようになりましたが、それでも時間が足らないと、錯覚してしまうほど目まぐるしく感じてしまいますね。
せっかく涼しくなるのなら、秋の夜長をゆっくり楽しみたいものです。
さて、10月21日は金毘羅院院主 池上照玄の命日になります。2015年に亡くなったのでまる9年。回忌で数えれば十回忌になります。
十回忌と聞くと、ずいぶん時間がたったように思いますが、実際は「もうそんなに時間がたったのか」と驚くばかりです。
とはいえ、この9年の間に境内の大工事が行われて、落慶法要まで行ったと思えば、確かにそれなりの年月が経っているのだと思います。
ただ、いまだに本堂で院主がお勤めする姿を思い浮かべると、まだこの場にいてもおかしくないような気がすることもあります。
境内の工事を経て、お寺が大きくなったなと思うのですが、それでもその基礎のほとんどを院主一代で築いたことを思うと、とてつもないことをやってのけた人なんだなと、改めて感心せずにはいられません。
前に誰かに、「一代でお寺をこれだけ大きくするなんて、君のおじいさんは相当なやり手だね。」と言われたことがあったのですが、「やり手」という言葉は院主には当てはまらないような気がして、その時は「うーん、そうですかね?」と濁すような返事をしたのを覚えています。
「やり手」ではないにしろ、多くの人からの期待に応え続けた結果が今のお寺につながっているのだろうなとは思っています。
たくさんの人の悩みや不安に答えと道筋を示し続けたお坊さんだった。それは正しい宗教者としてのあり方なのだと思います。
時代は目まぐるしく変わっていますが、院主のような人は今の時代でもきっと必要とされることでしょう。
院主には遠く及ばないものの、少しでもいい宗教者たれるよう、精進していかなければいけないなと、命日が近づき思いました。
院主の命日には、実は大好きだったスイーツをたくさんお供えして、供養のおつとめしようと思います。
ご縁のある皆様方も、よければお墓にお参りしてくだされば、院主も喜ぶことだと思います。「よお来た、よお来た。」といつものあの口調で。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌