今週のごあいさつ
気配だけでも嬉しい
今年もお盆の時期になりました。暑さや台風や色々と気になりますが、連日多くのご家庭がお墓参りをされています。
昨日はお盆の合同法要を行ったのですが、年々参拝される方が増えていて、今年は準備した席がほぼ埋まってしまったので、来年からは午前午後の2部制も考えないといけないなと思っています。
明日からは台風の影響で雨になるようです。暑さも気を付けなければいけませんが、雨の中のお墓参りも、お線香に火がつかなかったりと大変なので、お天気の様子を見ながらお参りなさって下さい。
さて、ちょっと不思議なお話を。
先日、八月の朔日祭で護摩を焚き終わって、本堂に戻ったとき、「えっ?」と思うぐらい本堂の中に先代院主の匂いがしていました。
院主はいつも部屋でお香を焚いていたので、その匂いが衣に染みついていて、院主が通ったあとが分かるくらい「院主のにおい」というものがありました。
それがあの日、本堂中がそのにおいであふれていて、「お盆の月だからちょっと戻ってきてくれたのかな」という気持ちになりました。
お堂なのでいつもお香は焚いていますが、院主の使っているお香とは違うものですし、あとでお寺のみんなに聞いても、いつもと違うお香は使っていないということだったので、なぜあのにおいがしたのかはよくわかりません。
ただ、なぜいつもと違うにおいがしたのかと、理由をあれこれ探すより、こういう時は素直に「あぁ、帰っているんだろうな。」と思っていた方がいいのかな、と思っています。幽霊がいるとかいないとか、魂はあるとかないとかは別にして。
身内が亡くなると、しばらくの間は悲しさや寂しさがずっと心に留まっていますが、それでも段々と時がたつと、その人がいないということに少しずつ慣れていきます。
ただ慣れたからといって、寂しさや悲しさがなくなるわけではなく、また会いたいなぁ、とか、話がしたいな、とか、夢の中でもいいから出てきてくれないかな、なんて思うこともあります。
だけど死んでしまった人と会ったり話をしたりというのは、まぁ当然出来るわけもなく、都合よく夢に出てくれるなんてこともそうそうないわけです。
だから今回、別に直接会えたわけでもないですが、その気配だけでも感じることが出来たのは、すごく嬉しいことでした。
それが本当に院主の気配だったのかどうかは問題ではなく、それを感じることが出来たおかげで、院主のことを想う余地が、心に生まれたことが良かったと思っています。
朔日祭にお参りされている方の顔を見て懐かしいと思っていたかな、とか、お寺の様子が随分変わったからびっくりしていないかな、とか。ただ、わざわざ戻って来てくれたんだから悪い気持ちにはなっていないだろうな。などなど、そんなことを考えたりしました。
無理をしてでもどこかに気配を感じないといけない、というふうになるとあまり良くないなと思いますが、こんな風にふとした瞬間に気配を感じるくらいのことはあってもいいなと思った出来事でした。
久しぶりに親族の揃ったお盆を迎えるご家庭も多いと思います。どうぞ穏やかな時間をお過ごしください。
合掌