今週のごあいさつ

機械にくくりつけられてグルグル回りながら思ったこと

 昨年の暮れに、すごく久しぶりに健康診断を受けました。

 40歳も近いし、お寺は境内改修工事の正念場なので今体調を崩すわけにもいかないから、と思って受けたのですが、色々と感心しました。

 胃の検査をする年齢になっていたので、バリウム検査をお願いしたのですが、大きな機械に体をくくりつけてグルグル回されて写真を撮られました。こういう検査は前々からあったのかもしれませんが、初めて受けたのですごく驚きました。

 今回受けたのは通常の健康診断だったので、その他の検査は簡単なものでしたが、色々とオプションを付けたり、人間ドックを受けたらもっと最新の機械で色々と診てもらえるのだと思います。

 医療の進歩はすごいものだなぁと感心したのですが、もっと深く思ったことは、「人間は本当に死にたくないと思っているのだな。」ということです。

 病気になりたくない、死にたくない。その想いが強いからこそ、病気になりにくい、死ににくい技術が進歩しているわけです。あの診察機器を見たら、その想いがどれくらい強いものかというのを感じることができました。

 お釈迦様が悟りを開いて説かれた教えの、最も重要なものが「諸行無常」、「変わらないものなどない」という教えです。一見すると当たり前のことを言っているような気がしますが、人間には「四苦」という根源的な苦しみがあります。「四苦」とは「生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ」の四つの苦しみを言います。

 この苦しみから抜け出すために、お釈迦様は長い瞑想の修行をし、ものごとは常に移り変わり、同じ姿のままのものはないということを、心の底から理解して心の平穏を得られました。

 その体験を「諸行無常」という言葉にし、多くの信徒を平穏に導いたのですが、ただこのような心の平穏を得るための修行プログラムというのは、出来る人が限られていました。

 修行をつづけることが出来なかったり、そういった教えに触れることが出来ない人は、いつまでも生老病死の四苦に苦しまなければいけません。

 でもそういった人たちの「老いたくない、病気になりたくない、死にたくない」という想いが、医療の進歩につながっているのだと思うと、「人間ってすごいな」と思います。

 長い修行の末に苦しみから脱することもすごいですし、それが出来なくても技術を進歩させる力があるのもすごい。簡単な健康診断でしたが、人間のすごみを見たような気がします。

 ただ、いくら老いや病気や死を先延ばしに出来る技術があっても、それらは必ず我が身に起こることです。苦しみを先延ばしにできる技術は素晴らしいものですが、そうして長く生きることで何を求めるのか。長く生きる意味は何なのか。こういった問いは今の時代だからこそしっかりと向き合わなければいけないのだと思います。そうでなければ、やみくもに「老・病・死」の苦しみから目を背け続け、その結果、より大きな苦しみにつながってしまうことになります。

 だからこそ、この時代に仏の教えが「心の薬」となる可能性も大きいと思っています。それを説けるだけの力を仏教教団が持てるように、毎日積み上げていかなければいけないな、とも感じています。気を引き締めて頑張ります!

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 諸行無常はたびたび思い出すだけでも気持ちが楽になる、お守のような言葉ですよ。

 合掌