今週のごあいさつ

幸せってどうやってなるの?

 「仏教の目的は楽になることです。」と言われるとちょっとびっくりするかもしれません。瞑想したり断食したり、長時間正座してお経を唱えたりする姿は、とても楽だとは思えないでしょうから。

 これには少し説明が必要で、お釈迦様は「生きることは苦しみだ」と説かれました。これは「自分の思うとおりになってほしい」ということと、「いい状態のままいつまでも続いてほしい」と願い続ける限り、その願いは絶対にかなわないから、生きることが苦しみになってしまうという意味です。

 じゃあそんな風に願わなければいいと思うかもしれませんが、そう思えないのが人間の業というもので、なかなか苦しみからは逃れられないものなのです。

 だから仏教では修行をして「自分の思うとおりになってほしい」ということと、「いい状態のままいつまでも続いてほしい」という思いを遠ざけて、苦しみから脱し、楽を得ることが目的となるのです。

 そこで大切なのが楽を得るために周りの環境を整えるのではなく、自分の内面を変えることが必要だということです。

 自分の思うとおりにするために、周りに自分の言うことを聞いてくれる人ばかり集めるというのは、かなり無理なこととなります。

 あるいは、いい状態を続けたい。例えば健康な状態。お金をたくさん持っている状態。周りにちやほやされる状態。なんていうのも時間の経過とともに変化していき、同じ状態が続くことはありません。

 だからそんな環境を整えようとすればするほど余計苦しみにとらわれてしまいます。

 仏教では内面を整えて、何事にも心が動揺しない、穏やかな気持ちを作れば、それが楽となるというふうに説いています。

 最近見たバラエティー番組と映画で、ちょうど同じようなことが言われていました。

 それは、「幸せというのは何も特別なものじゃない。」「特別なことを幸せだと思うと幸せになりにくい」ということでした。

 例えば人は優越感というものを持っています。誰かと比べて自分の方が優れていればいい気分になる。

 これも厄介な感情で、人よりも自分の方が上と思うために、無理して高いものを買ってみたり、自分のことを棚に上げて他人の粗を探したり。そんなことをして手に入れた優越感も、時間とともに低下していき、その度に新しくものを買ったり、人の粗を探し続けて、と優越感を得ようと終わりの見えない、そしてどんどんハードルが上がっていくというドツボにはまってしまいます。

 これも内面ではなく、周りの環境を整えようとして逆に苦しくなってしまう例ですね。

 そうではなく、心穏やかになるよう整えていけば、何も特別なことなどなくても、当たり前の日常がありがたく思えたり、その時その時がかけがえのない時間に感じられるようになります。

 それが幸せなのだと思います。

 簡単に聞こえるけど難しい。だけど全然複雑じゃない。仏教ってすごい教えだなと改めて思います。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。        合掌