今週のごあいさつ
四苦八苦
先週人が苦しみ(悩み、思うようにならないさま)を感じるのは無常と無我が本質的に理解できないからだというお話を書きましたが、今週は「苦」には具体的にどのようなものがあるかということを書きます。
仏教が具体的な苦しみについて説いたもので一般に浸透している言葉に「四苦八苦」というものがあります。
あ、それ仏教の言葉なんだと思う方も多いかもしれません。「四苦八苦する」と言うと大変な苦労をするという意味で使われますが、本来は具体的にこんな苦しみがありますよ、という説明です。
四苦とは「生・老・病・死」の四つの苦しみのことです。
生は生まれる時、お母さんの産道から出てくるときの痛みを言うそうです。生まれるときのことをおぼえている人も少なそうですが、これが四苦の中の一つ目です。
二つ目は老。老いることの苦しみ。いつまでも若くて自由の利く体ではなくなってしまうことへの苦しみです。時間は巻き戻すことができない。老いることを止めることもできない。自分が老いてきて初めて気がつく苦しみとも言えます。
三つ目は病。病気になる苦しみ。老いと一緒で元気な時にはそれが当たり前だと感じていますが、自分が病気になると健康だった時のありがたみがわかる。ウイルスのように外部から感染する病気もあれば、自分の細胞が病化することもある。いずれにしても病気を通して人はこんなにも脆いのかと突き付けられます。
四つ目は死。自分の死、あるいは親しい人の死。人は死から逃れることができないという苦しみです。死ぬということは存在が消えてしまうということ。この消えてなくなってしまうことがどうにも理不尽に思えて仕方がない。怖い。生き物はいずれ必ず死ぬものだと頭では理解できても死の苦しみが無くなるわけではない。そんな根源的な苦しみです。
以上が四苦。では八苦とはその他8つの苦しみがあるのかというとそうではなくて、残り四つの苦しみと先に書いた四苦をあわせて八苦といいます。だから四苦八苦って混乱を招きやすい言葉ですよね。じゃあ最初から八苦でいいじゃん、と言いたくもなりますが、先に書いた四苦と残りの四つの苦しみでは若干苦しみの種類が違ってくるのです。
残りの四苦の一つ目は愛別離苦。大切な人と別れる苦しみです。恋人と別れることや、家族と死別すること。悲しみを伴う別れの苦しみです。
二つ目は怨憎会苦。会いたくない人と会ってしまう苦しみです。仕事で嫌な人と絶対に会わないといけないとか、いじめのある学校に通わなければいけないとか、対人関係の悩みというのは生きる上で避けては通れない苦しみです。
三つ目は求不得苦。欲しいけれど手に入れることができない苦しみ。モノ、お金、地位、名誉、称賛。人によって欲しいものは違っても、それを得られない苦しみというのは共通のものです。
四つ目は五蘊盛苦。五蘊というのは自分の内側と外側のこと。いってみれば世の中すべてという意味ですが、その動きが盛んであるために起こる苦しみです。ちょっと説明が難しいのですが、苦しみの総まとめみたいなものです。
この四苦八苦、考えてみると前者の四苦は無常にかかわる苦しみ。後者の四苦は無我にかかわる苦しみと言っていいかもしれません。
他にも苦しみはあるという方もいるかもしれませんが、多くの苦しみは突き詰めていくとこの四苦八苦に通じてくると思います。
ここまで苦しみの種類を読んできて、なんだか暗く、嫌な気持ちになってしまうかもしれません。ということで来週はこの苦しみをいかに自身の力で克服していくのかを書いてみようと思います。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌