今週のごあいさつ
「知らない」という儚い無敵
年末年始とこの3連休と、人が動きそうなタイミングで毎回雪が降って、なんだか「今は動くな」と言われているようですね。ただまた窮屈な生活になりそうな状況になってきました。今後は雪が降らなくても動かないことを強要されてしまうかもしれませんね。
それはそうとして、なるべく動かないようにしますのでもう雪は勘弁してもらいたいものです。
さて、話は変わって昨年志村けんさんが亡くなりました。あの時は日本中に衝撃が走りましたね。昨年末には追悼の番組なんかも放送されていましたが、ああいうのを見ると本当に長年にわたって、日本中に笑いを届けた人だったんだなと改めて実感しました。
ただ思い出してみると私が幼かったころテレビでドリフターズやひょうきん族などを見ていると、世のご老人方は「あんな馬鹿みたいなものを見るな」とか「あの人たちは馬鹿なんだよ」言っていたような気がします。
その後もとんねるずなどが活躍するようになると「あの人たちは遊んで暮らしている」というような大人の声を聞いたこともあります。
今でこそお笑いの人たちが売れない下積み時代にどんな苦労をしたのかとか、どれほどの努力をして面白いことをしているのかということがピックアップされるようになったので、私たちも表舞台ではないところまで知れるようになりました。
ただそういうことが取り上げられなかった時代にはまさに見たままで、「あの人は馬鹿なんだ」とか「遊びで仕事をしている」と簡単に考えていたのだと思います。
それで、こういう「誤解」というか、目に見える部分だけを抜き出して誰かを批判することというのは自分たちも日常的にけっこうやりがちなことなんですよね。
特にうまくいっている(ように見える)人や、人よりも目立つ人はそういう対象になりやすい。「あの人は儲けるのがうまい」とか「自分だけよければいいと思っているんだ」とか、なんかそんなことを言われてしまう。
それで、そういうことを言う時というのは、実は自分はその相手のことをよく知らないまま言っていたりします。志村けんさんの例で言うとテレビでコミカルに演じている部分しか見ていなくて、その裏の苦労とか苦悩を知らないまま批判をするのです。だけどその裏の部分を見てしまうと簡単には批判できなくなりますよね。
つまり人は「知らないことに関してはいくらでも簡単に批判しちゃう」ことがあるんです。
知らないからこそ一方的に自分の都合のいい見方で人のことを批判してしまう。だけど物事というのは一つの側面がすべてではなく、いろんな角度から見なければわかるものではありません。
そこを見ないまま簡単に人を批判することにどれほど意味があるのか。もっと言えばそんな風に人を批判できるほど自分という人間が出来上がっているのか。
そういうことを考えていなければ世の中はよく知らないままの悪口であふれかえってしまいますし、現にSNSの中ではそのようなことが起きているようです。
だから「知らない」ということはある意味無敵なんですね。言いたい放題言えてしまう。だけど無敵に酔いしれてずけずけ進んでいくと、ある時見えていなかった部分を見た時に自分の考えの足らなさを思い知らされることになります。
そうならないためには目に見えないところを考える想像力と、自分のできない努力をしている人に対する敬いや憧れの心が必要なのだと思います。
悪口や簡単な批判をしない。今年1年の目標にしてもいいですね。まずは1年とは言わず、今日1日、この1週間を目標に積み上げていきましょう。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌