今週のごあいさつ
一択という自由
先日、車を運転している時にすれ違った人の顔が、知り合いのお坊さんによく似ていました。
「ああ、今の人は〇〇さんみたいだったなぁ。」と思ったのですが、一点違っていたのは、すれ違った人は頭を坊主にしておらず、髪の毛が長かったことです。
「〇〇さんが、もしもお坊さんじゃなくて、別の仕事をする人生だったら、今の人みたいだったかもしれないな。」と想像して、ちょっと愉快な気持になりました。
ご存じの通り、お坊さんは頭を丸坊主にしている人が多いです。私の知り合いのお坊さんもみな丸坊主なので、髪の毛が長い姿はあまり想像できません。
私自身も18歳から頭を丸めて、かれこれ20数年たつので今さら自分の髪が長い姿というのは、うまく想像が出来ません。
なので、知り合いのお坊さんに似た髪の長い人を見ると、「こんな人生もあったのかもなぁ」なんて、勝手に想像してしまいます。
そんな想像をした後にふと、「今から自分が髪の毛を伸ばすとしたら、どんな髪型にするだろう?」とちょっと考えてみました。するとものの10秒もしないうちに、「髪型考えるの、面倒くさいな。」と思ってしまいました。
そう思うと今度は、「自分の知っているお坊さんじゃない人たちは、自分の髪形をどういう経緯で今の髪形にしたのだろう?」と疑問がわいてきました。
「今の髪形に落ち着くまでには、どれくらい髪型を試したのだろう?髪型を変えたいときにはなんて言って注文するんだろう?何か見本を見せるのかな?それとも店員さんにおまかせするのかな?
そもそも年とともに顔つきも変わるから、髪型もそれに合わせて変えた方がいいよな。髪型は失敗すると、すぐやり直しが出来るわけじゃないから慎重にしないといけないよな。そう思うと、皆さんけっこう髪の毛で苦労しているんじゃないかな。」
などなど、いろんなことを考えてしまいました。なんでそんなことを考えたかというと、髪型の選択肢というのはほぼ無限にあるように思えたからです。
長さや形、色、パーマをあてたりスプレーをしたり、いろんなことが試せてしまいます。
坊主である期間が長いと、こういったことの無限にも思える選択がとても面倒に感じてしまいました。もちろんそれらを選ぶ楽しさもあるのでしょうけれど、なんか途方もないことに思えてしまって。
世の中が便利になって、たくさんのものが溢れて、それらを消費することがある意味豊かだ、とされてきました。
ただ、そんなたくさんのものやサービスの中から選択をし続けるというのは、思っている以上に大変だったりします。
アップルのスティーブ・ジョブズが着るものを毎日同じものにして、服を選ぶという行為から自由になった、というのは有名な話ですが、たくさん着るものの選択肢がある方が豊かだと思い込んでいた人たちからすると、すごいカウンターな考え方ですよね。
だけど選択肢がありすぎて決めるのが大変というのも事実です。気が付けば選択することで疲れてしまうこともあります。
いろんな中から決める楽しみというのはもちろんあるし、でも何もかもに選択肢が多すぎても、毎回の判断で疲れてしまう。
何が自分にとって楽しい選択で、何が面倒な選択なのか、ちょっと整理してみるのもいいかもしれませんね。
ちなみに坊主頭は楽な部分もありますが、夏の日差しも、冬の寒さもダイレクトにくるので、その辺は大変です。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌