金毘羅院

大 平 山 金 毘 羅 院

おおひらさん こんぴらいん

金毘羅院

大 平 山 金 毘 羅 院

おおひらさん こんぴらいん

4月 行事予定

01日(水)朔日祭

18日(土)先祖供養の日

24日(金)水子供養の日

今週のごあいさつ

【不殺生戒】 4月5日

新学期、新年度が始まって桜も満開となり、「さあこれから頑張ろう!」と思いたいところですが、まだまだ不安を解消する兆しが見えず気持ちがふさがりがちになります。
不安な気持ちを一時でも鎮めて桜を見ればやっぱりきれいで心も浮き立つのですが、コロナウイルスの根本が解決されていない今、安易に不安から目をそらして好き勝手行動することもはばかられます。難しい時期ですが「今だから出来ること」を考え、そして「今してはいけないこと」もわかっておいた方がいいと思います。

仏教でいういわゆる「覚り」というのは「智慧」を得て「仏の視点」でものごとを見ることを言います。「仏の視点」とはありのままの世界を見ること。
私たち一般の「覚っていない者」は「我」をもって自分の都合や感情で物事を見てしまいます。自分の都合や感情で物事をみれば本来のものごと、つまりありのままの姿をゆがめて見てしまうことになります。
都合や感情に流されずにありのままにものごとを見ることが出来れば悩みや苦しみがなくなると説かれています。
そのように覚りをひらいてありのままの視点をもつために積極的にやるべきことを修行といい、やらないほうがいいことを戒(かい)といいます。
その戒の中で一番最初に説かれる戒が、「不殺生」の戒、つまり殺してはいけないという戒です。

厳しい修行をするお坊さんにとっては人間、動物、植物、昆虫などあらゆる生き物の殺生を禁じますが、一般の人たちには特に人を殺すことは絶対にしてはいけないと説かれます。
私たち一般の人間の視点でいのちを見ると、「私の命は私の命。あなたの命はあなたの命。」と当然ながらそう思うと思います。ですから自分の命は自分のものだし、どう使おうが自分の勝手だと考えます。
しかしありのままに世界を見れば私の命もあなたの命もみんなつながっている。私の命を活かしているのは他のたくさんの命が複雑に絡み合いながらお互いを助け生きている。だから私の、あなたのという個人の小さな命ではなく、一つの大きな命なんだ、ということが覚りをひらくとはっきりとわかるのだそうです。
そのような視点に立てばあなたの命を奪うことは私の命を奪うことと一緒ですから人を殺すことに何の意味もありませんよね。

しかし人はしばしば人を殺します。殺人事件のニュースもよく目にします。一時の感情や自分の都合を優先した殺人であったり、国と国との都合の争いで戦争を起こしたりします。
よく戦争の話になると「その時の社会の状況で殺人は正当化される。」なんて意見がありますが、それはただ都合の話でいかなる状況であろうとも殺人がいいことになるはずはありません。
たとえ覚りをひらかなくても、都合や感情ではない視点であらゆる命を見れば、いのちはみんな平等であることに気がつきます。
私の命を私がとても大事にしているように、みんな誰もが自分の命を大事にしています。だからその命を奪ってはいけない。
仏教ではその不殺生戒を一番最初に説いているんですね。

そこで最初の話に戻るのですが、今コロナウイルスの騒ぎで自分が感染しないことはもちろん大事なのですが、もし自分が感染してしまった場合、他人にそれをうつしてしまう可能性がとても大きいです。そしてうつしてしまった人が亡くなることもありえます。それは無自覚であっても人を殺してしまうということになります。
若い人は特に感染しても症状が出ないこともあるらしいです。しかし症状はなくてもウイルスをまき散らしているかもしれない。そしてその結果亡くなる人がいるかもしれない。 そうであるならば「自分は大丈夫だ」という自分の都合だけの視点で物事をみるのではなく、自分が人の命を奪う可能性があり、たとえそれが自分の見ず知らずの命であったとしても命を奪うことは大きな罪に(刑罰ということではなく)なるんだということは心に置いておいた方がいいと思います。

こういう時だからこそ、今一度「不殺生」ということを考えていくべきだと思います。
手洗いと外出の自粛、窮屈ですが出来ることをやって、してはいけないことはしないようにしましょう。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌

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金毘羅院について

昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、 新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で 知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を 建立しました。これが当山の始まりです。

その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現 在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ り多くのお参りを頂いております。

また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」 を建立いたしました。

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金毘羅院では団体参拝を受付けております。祈願ろうそく、ぼけ封じ絵馬からお選びいただきます。

出張

出 張

金毘羅院では年に4回、松江と福山に出張しております。どなたでも自由にご参加いただけます。