金毘羅院

大 平 山 金 毘 羅 院

おおひらさん こんぴらいん

金毘羅院

大平山金毘羅院

おおひらさん こんぴらいん

5月 行事予定
今週のごあいさつ

あきらめ上手になろう

 先日人と話していて、「上手に諦められるようになると楽ですよね。」という話になりました。

 「あきらめる」と聞くと、どうでしょう?やっぱりネガティブというか、マイナスなイメージのある言葉としてとらえてしまいますよね。「負け」のイメージもあるかもしれない。

 だけど最近個人的に、「いろいろあきらめちゃおう」「すぐあきらめよう」という気持ちが強くなっています。

 なんというか、「こうであらねばならない」とか「こうあるべきだ」みたいな気持ちがどうしたってわいてくるわけです。

 「もっと大切にしてもらいたい」でもいいし、「もっと自分は評価されるべきだ」でもいいし、「自分」が全面に出るような思いというのは、大なり小なりみんな持っていると思うのです。

 だけど、そういう思いを満足させようと思って物事に臨むと、だいたい都合よくはいかなくなって、最終的に自分が苦しむようになります。

 相手がいることであれば、自分の思うとおりに相手がしてくれない。もっとああしてほしいのに、もっとこう言ってほしいのに。そんな不満が溜まっていきます。

 そういった、ああして、こうして、という思いを最初のうちからあきらめてしまおう、というのです。何も夢や目標を途中であきらめろ、挫折しろと言っているわけではなく、何だか知らないし、特に根拠はないんだけどこうあるべきだ、と思っていることを手放してしまったほうが肩の荷がおりて、気持ちも楽になるのではないかということです。

 何度かここでも書いていますが、仏教において「諦」という字は、「ものごとをあきらかに見る」とか「真実をあきらかに見る」といった意味で使います。

 私たちが普段思っている「諦め」というイメージとずいぶん違います。

 だけど考えようによってはちゃんと意味はつながっていて、私たちは生きているなかで、すべてが自分の都合通りになるわけではない。というのはあきらかな真実、真理と言っていいと思います。だけどそれが言葉ではわかっていても心から理解できないから、不満が出たり苦しんだりするわけです。

 だから、ものごとの真理をあきらかに理解するためには、自分の都合通りになるべきだ、という思いを諦めることから始まるのではないかと思います。

 もちろんあきらめることだって苦しい。そんなに簡単に手放せられるならこんなに苦労はしていない、と思うこともありますが、手放せないほうがずっと苦しい。最近はそう思うようになりました。

 物の断捨離はよく言われますが、余分な欲の断捨離も、やればずいぶんスッキリしますよ。

 私はとりあえず、年齢より若く見られようとか、必要以上に年を重ねることに対して抵抗することをあきらめました。

 こんなふうに見られたいって欲は、それなりにあったんですよねぇ。でもないほうが楽です。そのかわり、見た人が不快になるような見た目ではないように気を付けています。それは欲とはちょっと違ってると思うんですよね。まだうまく説明できませんが。

 みなさんもあきらめ上手、目指してみませんか?

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました        合掌

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金毘羅院墓地「照光苑」について

金毘羅院について

昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、 新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で 知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を 建立しました。これが当山の始まりです。

その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現 在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ り多くのお参りを頂いております。

また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」 を建立いたしました。

金毘羅院について
団体参拝

団体参拝(ツアー)

金毘羅院では団体参拝を受付けております。祈願ろうそく、ぼけ封じ絵馬からお選びいただきます。

出張

出 張

金毘羅院では年に4回、松江と福山に出張しております。どなたでも自由にご参加いただけます。