金毘羅院

大 平 山 金 毘 羅 院

おおひらさん こんぴらいん

金毘羅院

大平山金毘羅院

おおひらさん こんぴらいん

9月 行事予定
今週のごあいさつ

言葉についての難しいはなし

先週、人は色々なものに名前を付けることによって、私を含めたありのままの世界を分別してしまい、結果としてそれは人の苦しみにつながってしまう。仏教はそのような言葉に対して警戒している、という話を書きました。

今週はその続き、現代は言葉に偏りすぎているというお話です。

 もう少し、人が言葉によって苦しめられるということを詳しく書くと、人はある程度の年齢になると言葉を使って物事を考えるようになります。「今日のご飯は何にしよう」とか「明日までにこれをしないといけないな」とか何でもいいですけど、何かを考える時にはこんな風に言葉を使って思考します。

 そこで気を付けないといけないのは、このように言葉を使って考えている「世界」というのは、「私」というフィルターを通して感じた「世界」なので、ありのままにある「世界」とは実は別物なのだということです。

 この世界が別物だということを意識していないと、「私の世界」と「ありのままの世界」との差に、あるいは「私の世界」と「あなたの世界」の差に自分の思うようにならないことを感じて苦しんでしまうことになります。

 なので「私の世界」は思考=言葉によって作られていて、言葉に頼りすぎるとかえって自分を縛ることになるので気を付けないといけない、と仏教では色々な言い方でそれを伝えているのですが、その教えとは裏腹に現代には言葉が溢れすぎていると思いませんか?

 SNSなんてそれの最たるもので、だれもが簡単に自分の思考を発信できる時代です。でもありのままに世界を見るなら、文字なんてただの記号です。その記号に一喜一憂してしまう。心無い言葉がためらいなく発信され、その言葉に深く傷つく。

 あるいはコロナによってリモートによるコミュニケーションが活発になりました。便利な面もありますが、対面で会うときのように言葉以外から受け取ることが出来る情報、表情やしぐさなど人間全体から出る「雰囲気」というものは感じにくく、やはり言葉だけのやりとりになってしまうような気がします。

 言葉って便利です。だけど先週書いたように世界を言葉で表せばあらわすほど世界と私は分離されてしまいます。

その結果、言葉を使って色んな事に理由をつけようとしてしまう。そうすると「私は何のために生まれてきたのか」とか「私は何をするべきか」ということに答えがないといけないような気になってしまう。

 でも、言葉の枠にいれず、ありのまま世界を見るなら、「私はただそこにいる」ことが出来ます。そう思えたら随分気持ちが楽になると思いませんか?

そんな風に感じることが出来てから「自分はなにをするべきか」という問いに向かうことが出来れば、ただの言葉で思考することよりも気持ちのいい答えが出てきそうな気がします。

 瞑想というと宗教的な行為に聞こえますが、意識的に口も頭も黙っている状態を作るというのは現代人にとって結構大事なことかもしれません。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌

今週のごあいさつアーカイブはこちらから
ご 案 内
ご祈祷

ご 祈 祷

厄払い・合格祈願・車のお祓いなど

こどものご祈祷

こどものご祈祷

安産祈願・七五三・十三参りなど

ご供養

ご 供 養

水子供養・先祖供養

年中行事

年 中 行 事

初詣・節分祭・お砂ふみなど

お祈り守り

お祈り守り

現在山陰地方の方のみ受付けております

ぼけ封じ

ぼ け 封 じ

ぼけ封じ祈願について

墓地・葬儀

墓地・葬儀

金毘羅院墓地
「照光苑」について

金毘羅院について

昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、 新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で 知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を 建立しました。これが当山の始まりです。

その後、数度の建て直しを経て平成2年に現在の本堂が落慶されました。現 在ではご祈祷を中心に参拝者のご相談を聞くお寺として、地元や近隣の県よ り多くのお参りを頂いております。

また平成23年からは金毘羅院墓地「照光苑」を開き、永代供養墓「還阿堂」 を建立いたしました。

金毘羅院について
団体参拝

団体参拝(ツアー)

金毘羅院では団体参拝を受付けております。祈願ろうそく、ぼけ封じ絵馬からお選びいただきます。

出張

出 張

金毘羅院では年に4回、松江と福山に出張しております。どなたでも自由にご参加いただけます。