今週のごあいさつ

過去の今週のごあいさつが見れるようになりました

今週は今日から始められる簡単な瞑想の仕方について書くつもりでしたが、予定を変更してお知らせをいたします。

この「今週のごあいさつ」の過去の文章が見られるようになりました。ホームページ内の「今週のごあいさつアーカイブ」というところから見ることができます。

これまでにもこの文章の過去のものを見れるようにしてほしい、という要望は聞いていたのですが、「へぇ!」とか「なるほどですね~」などと言ってはぐらかしながら伸ばし伸ばしにしておりました。しかしこの度ついにアーカイブ化いたしました。もしお時間があればご覧ください。ちょうどここ最近は連載のような形で文章を書いていたのでタイミングとしてはちょうど良かったかもしれません。

もともとこの文章はネットで金毘羅院を検索した時に、常に動いているお寺だという印象を持ってもらいたいと思って、週に一回「新着情報」みたいなものを更新していこう、という思いから始めました。

ですのであまり人から読まれることを念頭に置かずに書くようにしていました。そうしないと「この文章を読んで嫌な気持ちになる人がいるんじゃないか」とか「仏教のことを書いて、それが間違っているという指摘を受けたらどうしよう」といった不安が出てしまい書きにくくなってしまうので、「おそらくこの文章を読んでいる人はいない」と仮定して書くようにしていました。というか本心ではあんまり読んでほしくないなと思いながら書いていました。

ところがお参りに来た人や知り合いから、「毎週読んでいます」とか「あの文章を読んでこんな感想を持ちました」とか色々と言われることが多くなり、またその方たちから「過去のものも見れるようにしてほしい」と思ってもみないことを言われるようになりました。

もともと文章を書き始めた動機が「読んでほしい」ではなかったため、自分が過去に書いたものをいつでも誰かが見られるようになるというのはかなり抵抗がありました。

自分でいくつか読み返してみても「もっとうまく表現できただろうに」とか「随分背伸びしてかいているなぁ」とかそんなことばかり目につくので、なかなか本気でアーカイブ化に踏み切ることができなかったのですが、ただ書き手の私と、それを読んだ誰かが同じ文章を読んでも感じるところは違う、ということも最近になってわかってきました。

書いた私が「うまくないなぁ」と思っていてもそれを読んだ人がそこから何かを受け取ることが、どうやらあるようなのです。そしてその文章で励まされたりすることも、どうやらあるようなのです。

もしそうであるなら、読み返したら下手だからとか恥ずかしい、といった理由だけでアーカイブ化しないのも色々な可能性を無くしてしまうので、最近は「アーカイブ化してほしい」と言われたら、「ええ、いずれ」と少しだけ前向きな受け答えをするようになりました。

といった経緯があって前々からアーカイブ化を要望してくださった方には大変お待たせ致しましたが、今後は色々と見れるようになります。よかったですね。

そして最後に、ここまで読むとまるで私がアーカイブ化の決心をして、そのシステムを作っているかのように書いていますが、そのシステムを作ってくれたのは弟で、その弟に先日「これからは文章をアーカイブ化出来るようになったから。」と言われた私は「あぁ、そうなんだ。へぇ、ついに」というリアクションしか出来ず、しかし内心は「アーカイブ化、本当にしたんだ。大変だ。」と思っていました。

実は全く覚悟もなにもなくアーカイブ化が始まりました。今後は何年前までを見られるようにしていくか、ゆるゆると決めていこうと思います。

ただ今後も文章は書き続けていきますし、なるべく自分の思ったことを正直に書いていくようにしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌