今週のごあいさつ

年度末でいろいろお忙しいと思いますが

 ・例年にないくらい寒いお彼岸だったような気がしますが、先週は春のお彼岸でした。

 彼岸の入りはいいお天気で暖かかったのに、春分の日のお彼岸中日には雪が舞い、強い風が吹く荒れた天気となりました。お彼岸参りは義務ではありませんが、多くの人がお墓に参って手を合わせたいと思うものです。そういう時にはせめて穏やかな天気であればいいのに、と今年は特に思いました。

 ・先日、私の次男が保育園を卒園しまして、4月になれば小学校に入学をします。

 親としては、もうここまで育ったのかと、感慨深い思いです。

 思えば、この3月から4月にかけては卒業や入学、入社や転勤など環境が変わる体験をする人が多い時期になります。

 一方、私も含め、まぁ年度末なのでそれなりのあわただしさはありますが、3月から4月にかけて、何かが大きく変わるわけではない人も多くいます。

 そう考えれば私が過ごすこの一か月と次男が過ごすこの一か月では、ずいぶんと感じ方が違うのだと思います。一緒に暮らして、同じ時間を過ごしているけれど、「いつもと同じ」か「新しい日常へ」では全く違いますよね。

 ・よく、暦ができていなかったころの人たちの、時間の感じ方を想像したりします。

 今は共通のカレンダーでみんなが過ごしていて、お正月だとか年度末だとか、あとはゴールデンウイークで今年は何連続の休みになるかとか、それに合わせていろんな予定を組んだりしますが、暦ができる前には12月31日と1月1日の違いなんて全く意識していないですよね。そもそも日にちという概念がないのだから。

 そういう時代に生きた人には、「あれからちょうど一年たったな」と思うこともないし、「お彼岸だからお墓に参ろう」もないし、「何日までにこれをしあげなければいけない」と期日を決めることもあんまりなかったのでしょう。

 天体の観測をして、その法則を読み取ろう、とか思わない限り、つまり目の前のことを一日一日やっていた人たちには寒い時期がそろそろ終わってあったかくなるなとか、また暑い時期が来るな、とかそんな風に時の移り変わりを感じていたのかな、なんて想像します。

 ・暦は効率よく農耕をするために発達したのだと聞いたことがあります。

 そうした先人たちの努力のおかげで今日の食糧事情は豊かなものとなりました。

 ただ最近は効率が優先されすぎて、時間が足らなくなるような感覚を持つ人も多くいます。

 仕事の効率化とかタイムパフォーマンスとか、時間の有効性が説かれすぎてて、逆に時間に追われるような、そんな感覚になることもあります。

 そんな時に、暦のないころの人たちを想像して、自分もちょっとその感覚をマネしてみる。

 一日が24時間とか、一年が365日という当たり前のことを知らないことにして、ただ、今この時を眺めてみる。今日が何日とか、先の予定とかも考えずに過ごしてみる。

・カレンダーを見て、時計を見て、過ごしていくのは社会の中で大切なことですが、それは人が便宜的に区切っているものなんだよ。というのは折に触れて思い出しておきたいことだと、個人的には思っています。

 年度末でお忙しいと思いますが、あまり概念に追い詰められすぎませんように。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございます。         合掌