今週のごあいさつ
耐えること、続けること
小学校の先生に聞いた話なのですが、最近の子どもたちは積極性がなくて、自分から発表することもないし、周りの目が気になるのか失敗をすごく恐れている、と言っていました。
私が子どもの頃も同じような気持ちになったことがあるので、これが最近の子供たちだけに見られる傾向ではないような気がしますが、子どもたちがこのように積極性を無くすのは、そんなつもりがなくても、大人たちの育て方が影響しているのだろうと思っています。
周りと同じようにすることを求めたり、失敗をさせないよう先回りしてフォローしすぎたり、完璧に物事を整えてからでなければ始めさせなかったり。そういう大人の先回りが積み重なると、子どもの積極性は少なくなっちゃうんじゃないかなと感じます。自分も親として、ついつい世話を焼きすぎることもあるので気を付けないといけませんね。
失敗を怖がったり周りの目を気にしたりするのは子どもだけではなく、大人もそうだと思うのですが、仏教ではこういうことに対して、いい教えがあります。
それが忍辱(にんにく)の修行です。
忍辱というのは「はずかしめに耐える」ことです。例えば何か善いことを(手を挙げて発表するとか、電車で席を譲るなど)しようと思ったときに、周りの人からの「いい恰好しようと思って。」とか「自分は出来る人間だってアピールしようとしてる。」といったひがみや嘲りが怖くて、一歩を踏み出す勇気がくじけてしまうことがあります。
そういったはずかしめを耐えて、自分が善いと思ったことを実行する。それが忍辱という心の修行になるというのが仏教の教えです。
昔のお坊さんたちも、修行に励んでいる時に「あんなことをして何になるんだ」といった嘲りを外部の人から受けていたのかもしれません。
そういった周りの目に気を取られて、修行に気持ちが向かなくならないよう、忍辱の修行を心掛けていたのだと思います。
嘲りやはずかしめを受けることで傷つくことはあると思います。だけど傷つきたくないから善いことをあきらめるのではなく、それを耐えて自分の目指す方に向かうということが大切なのでしょう。
変な例えですが、若い頃はすごく馬鹿にされたり、人に見下されていた芸人さんが、年齢を重ねるにつれ、その道のレジェンドみたいな扱いになってくることがあります。
これも、はずかしめや嘲りに耐えて、続けていたからこその評価なのだと思います。
最初の話に戻りますが、もし子どもたちに積極性を持たせようと思うのなら、自分たち大人が子どもに失敗をさせないように動くのではなく、大人自身が嘲りやはずかしめに耐え、自分の信じるやり方を継続していき、成果を出していく。そういう姿を見てもらうことが大事なのだと思います。そして、その上で「人から何か言われて傷つくこともあるかもしれないけど、それでも自分が善いと思うことはやったほうがいいよ。そしてそれは継続することが大事だよ。」と大人がちゃんと伝えてあげられればいいなと思っています。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。
合掌