今週のごあいさつ

師の言葉

 ちょっと前にまとまった時間を使える時があって、その時にジャンルの違う本を数冊、並行して読んでいたのですが、偶然どの本にも、「よい師、よい先生に出会えたことで、その後の人生に大きな影響となった。」ということが書いてありました。

 それを読んで、自分のこととして考えると、確かによい師、先生に出会えるかどうかで人生の豊かさが違ってくるよな、と思いました。

 私が師と仰ぐ方は何人かいるのですが、その中でも一番影響を受けたのは、僧侶としての師にあたるかたです。

私の師僧は京都の醍醐寺で管長をつとめておられる方なのですが、私が醍醐寺でつとめている時に、その方の随行といって、お付きのようなことをしていました。

 その時に学んだことが、今の自分のお坊さんとしての在り方に、かなりつよく影響があるんだな、と今思い返してつくづくそう感じます。

印象に残っているエピソードをあげればきりがないのですが、今日はその中でも、この「今週のあいさつ」でも度々紹介している言葉、「祈りは人の自然な心の営みです」という師僧の言葉を聞いたときのことを紹介します。

 

 どんな時にその言葉を聞いたかというと、醍醐寺の仏像や仏具などの展覧会を、ドイツのボンで開催したことがありました。その開会式の時に現地の記者から師僧がインタビューを受けていました。

 その中で「ここに展示している仏像や仏具は、長きにわたって醍醐寺で祈られてきたものですが、そういった宗教的なものを海外で宗教観の違う人たちに見られるということにたいして、穢れ(けがれ)のようなことは感じませんか?」という質問がありました。

 これに対して師僧が答えたのが、「祈りというのは人の自然な心の営みです。宗教が違えど、祈りの心をもって見てもらえるなら、そこに穢れなどありません。」という言葉でした。

 このやり取りを私はすぐ横で聞いていたのですが、これはすごく大事なことを聞いた!と思って、だからそれ以後もいろんな形でこの言葉を紹介するようになりました。

 それで、この言葉を聞いたときは、ただただ「いいことを聞いた!」と思っていたのですが、今あの時のことを思い出すと、質問を受けた師僧はどう答えようかと考え込むこともなく、すぐに答えていたんですね。

 だから師僧はこういった問いについて、常に考え続けていたのだと思います。

 最近も政治と宗教の関係で、宗教に対して批判的な目を向けられたり、あるいは世界中で起こる宗教対立であったり、そういうものを目にするたびに、宗教に対していいイメージを持たれなかったりします。

 そういったことに対して、宗教者としての一つの答えとして、「祈りというのは人の自然な心の営みです。」という言葉を見出したのではないか。と今になって思うのです。

 師僧は言葉を大事にする方なので、いつもわかりやすく、柔らかい言葉を使おうとされていました。そして、いつもどう表現すればいいのかを考え続けていたと思います。

 コロナ以降、なかなかお会いする機会がないのですが、このような師僧の姿勢や言葉を、自分なりに見習っていくことが恩返しにつながるのではないかと思っています。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌