今週のごあいさつ

僕らがお参りする理由

春のお彼岸に入りました。日に日に日が長くなって明るい時間が増えてきましたね。朝の勤行も、少し前までは真っ暗な中でお堂をまわっていましたが、今は早朝でも明るいので境内が歩きやすいです。明るいとかあったかいというのは、冬を経験するとそれだけでありがたいものですね。

 さてお彼岸です。お墓参りや先祖供養をする時期といえば、一番はお盆で、二番目が春秋のお彼岸、あとは故人の命日などになるでしょうか。

 お盆もお彼岸も、なぜその時期にご供養をするのかという由来がちゃんとあって、話せばなるほどと思ってもらえるのかもしれませんが、多くの方は「なんとなくそういう時」だからお墓参りをする。という感じではないでしょうか。

 こういうのを古臭いしきたりとか、昔からの風習に感じてしまうと、お墓参りをする意味を見出せなかったり、面倒に感じてしまうこともあると思います。

 だけど私個人的には、盆・彼岸の由来を学んで先祖供養をするのも大事ですが、「なんとなくそういう時だから」という理由でお墓参りされる方がいいかもしれないと思っています。

 お墓参りって、行った方がいいんだろうけど、普段はあまり頻繁に行けない。という人は多いと思います。お墓が近所にないとか、近所でも多忙で行くことが出来ないとか。

 だけどお墓参りした方がいいよな、と思っている人も多いと思うのです。長くほっておくのも気になるし、自分の節目の時には報告がてらお参りしたいし。

 そういう時に、「なんとなくお墓参りをする時期」があるというのはいいんですね。じゃあお彼岸にあわせてお墓参りしようか。という気になる。

 これが、特にお墓参りをする時期というのはなく、個人の都合で行ける時に行くもんだ、というものだと、たぶんなかなか足が向かない。

 もちろん定期的にお墓参りをされる方もたくさんおられますが、多くの人はお墓参りするときがあった方が助かるんじゃないかと思います。

 あと、最近「散骨」や「樹木葬」に注目が集まっていますが、こういうのって、今よりも昔の方が日常的にあったはずなんです。今みたいに規則や法令があったわけでもないので、亡くなったらお骨を海に撒いたり、近くの山裾に埋めたりというのを、もっと自由に出来ていたと思います。

 そういうことは昔からたくさんあったことなんだろうけれど、だけどお墓という形のあるものもずっと昔から残っています。撒いたり埋めたりした方がずっと簡単なのに、手間をかけてお墓を作る風習がずっと残っている。

 これもやっぱり、お墓というお参りできる場所があったほうがいい、と思ったからなのでしょうね。そういうものがあった方が、残された人たちの「大切な人がいないという心の欠けた部分」を補ってくれるのだと思います。

 お墓にしても、盆・彼岸にしても、ただの風習だと思ってしまえば、心に何の引っ掛かりもありませんが、あった方がいいから昔から残ってるんだよ、と考えてみるのも面白いんじゃないかなと思います。

 どうぞお彼岸の間に、お墓参りなさってください。            合掌