今週のごあいさつ

マスクの下の顔の話

過ごしやすい気候が続き、このままこんな天気だったらいいのに、と思っていましたが、また崩れて寒くなるようですね。だんだん雪の心配などもしなければいけない、山陰の冬が来るなぁ、と少しずつ冬に向けての心構えをしています。

山の紅葉がきれいになってきました。去年の紅葉の季節はどんな感じでしたっけ?自粛ムードがあったのか、あんまり紅葉を楽しむ雰囲気じゃなかったかもしれませんね。今年はもう少し季節を楽しむ余裕ができたような気がします。あまり寒くないうちに楽しみたいですね。

 前にもちょっと書いたことがありましたが、コロナウイルスの影響で年中マスクをするようになりました。そうすると初対面の人と会うと、マスクの下の顔を勝手にこちらで想像して、いざその人がマスクを外すと「思っていたのと違う」と思うことが多々あります。

というか思い返すと、想像と実際の顔が、当たっていたためしがないです。

そういったことをおそらくみんなが感じていると思うのですが、これは自分にも当てはまることなんですよね。

 つまり、相手はこっちの顔を別のものとして想像しているはずなんです。

これって考えてみると面白いですよね。自分の顔って、自分ではそれ以上のものは想像できないと思うんです。だけど相手は全く違う顔を想像している。

人の顔は勝手に想像しちゃいますけれど、自分の顔も同様に思われているって考えると、不思議な気持ちになりませんか?

 相手はどんなふうに僕の顔を想像しているんだろう?

相手が想像した「私」の顔、ちょっと見てみたいです。指名手配犯の似顔絵みたいに、頭の中にある顔を書き起こせる人がいれば可能なんでしょうけれど。

 仏教では、世界はその人の心が作っているのだと説きます。

 世界というのは確かにあるのだけれど、人が世界を見るときは、その人の都合のいいように世界を見るものだ。だからありのままに世界を見ているのではなく、その人の心が見たいように世界を見ている。だから世界はその人の心が作っているのだ。という理屈です。

 なんとなくわかるような、でも実感がわかないような感じですが、この「マスクの下の顔」を考えるとちょっと納得できます。

 私が想像するマスクの下の顔というのは言い換えると、「私がそうであってほしいと思う顔」になります。だけどそれは実際の顔とは違っているわけです。

 それくらい、自分はありのままに世界を見れていないんだ、と考えることができると思うんです。

 そして、想像の顔と実際の顔に差があるように、私の心が見る世界と実際の世界にも差があります。その差が自分の都合に合わなければ合わないほど、人は苦しみ・ストレス・悩みを感じることになります。

 そんな思いを感じた時に、世界が悪いと思う前に、「いや、これは自分の都合でものごとをみているからこんな思いを抱くんだな。」と思えるようになれば、やり場のない思いを抑えることができます。

 そのきっかけに「マスクの下の顔」の例が思い出せれば、コロナが残した教訓の一つになるんじゃないかなと思っています。

 

 世界の国々では少しでもコロナが落ち着くと、すぐにマスクを取りたがるようですね。日本人はまじめにマスクをつけ続けています。マスクが好きなお国柄なのかな?

 本音と建前が好きな国で、マスクをしていると本音が隠せるから。とか?その辺りはどうなのかよくわかりませんが、自分しか乗っていない車の中でもマスクしたりしていますもんね。やっぱりマスク好きなのかな。

 今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌