今週のごあいさつ

みんなわかってほしいんだよな

 新しい年を迎え、お寺も三が日の修正会法要を無事に終えることができました。3日間行ったクラシックのミニコンサートも好評で、新しい年の始まりに花を添えてもらいました。

 ここ近年では一番多いお参りがあり、コロナがいまだ落ち着かないとはいえ、人の動きが戻ってきたなと実感します。

 3日間の法要後に少し法話をするようにしています。今日はその時の話を要約したものを書いてみます。

 小学校一年生の息子が私に、「赤ちゃんって泣くのが仕事なの?」と聞いてきたので、「そうだよ。赤ちゃんはしゃべったり自由に動いたりできないから、泣いてお腹が減ったとかオムツをかえてほしいっていうことを伝えるから、泣くのが仕事なんだよ。」と言うと、「ふーん、わかってほしいんだ。」と言って納得をしていました。

 この息子が言った「わかってほしい」という言葉が妙に頭に残って、ちょっと考えてみたのですが、人間というのは赤ちゃんだけでなく、わかってほしい生き物なのかもしれません。

 自分はこんなに頑張っている。こんなに大変だ。こんなに疲れている。そういうことを誰かに分かってほしい。そう思いながら生きているのではないでしょうか。

 私もしばしば、「私はこんなに疲れていますよ」という態度をとってみたり、「今は不機嫌ですよ」という表情を作ってみたりしてしまうことがあります。これもやっぱりわかってほしいからです。もっというと、わかってもらって、大事にしてほしい。と思っている。

 「大変だね。お疲れ様。いつも頑張ってくれているね。あなたがいてくれてよかった。」なんならこのくらいのことを言ってほしい。だからそういう態度をとるのですが、そんな態度の人には優しい言葉なんてかけたくないですよね。

 「わかってほしい」という気持ちは誰しももっているにしても、それが行き過ぎるとトラブルになります。すぐに自慢話をする人になってしまったり、「俺のことを知らないのか!」と怒ったり、人に迷惑をかけるようになってしまいます。

 それで、そうならないように私の今年の目標なのですが、「わかってほしい」という気持ちを今までより一目盛り分減らそうと思っています。そうすることでイライラしたり、態度を悪くしたときに、「あれ、ひょっとして自分はわかってほしいからイライラしているんじゃないか。」と気づくことが出来る。

そして「わかってほしい」を減らした分、「誰かのことをわかってあげる」を一目盛り分増やそうと思います。そうすれば、誰かがイライラしている時に、「この人はわかってほしいのかもしれない」と気づき、相手のイライラに対立することなく、優しい言葉をかけてあげられるかもしれない。

「わかってほしい」という気持ちを無くさなければいけない、と意気込むのではなくて、料理にちょっとした隠し味を入れるみたいに、穏やかな日常を過ごすための一味として、こういう心持で居ようかなと思っています。

良ければ皆さんも、「一目盛り」は人それぞれの幅があるでしょうが、試してみてはいかがでしょうか。

ということで、改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。

合掌