今週のごあいさつ

お坊さんの優先事項

4月になりました。お彼岸過ぎると一気に気温が上がって日中は暑いくらいですね。桜もそろそろ散りはじめでしょうか。新年度も始まり気を引き締めたいところですが、春の日差しをあびるとなんとなく力が抜けます。いきなりトップギアで物事を行わず、エンジンを温める期間をしっかりとって新しい年度を進めていきたいものです。

さて先週書いたことに「何事も優先事項を大事にしないと後から割り込んでくるあれこれに気を取られてストレスもたまるし、うまくいかなくなる」というようなことを書きました。

今週はその続き、じゃあ仏教ではどうしているの?ということを書いてみたいと思います。

仏教の優先事項は何かというと、日本では様々な宗派があってそれぞれに目的が変わってきてしまうのですが、大まかに仏教というくくりで言うと、いわゆる「悟り」と言われることが一番の目的になります。

「悟り」、「解脱」「涅槃」とも言います。少しずつ意味が違うのですがわかりやすく言えば「心の中の欲望の火が消えた状態」ということです。

心の中には絶えず欲望の火が燃え続けています。生き物の三大欲求だけではなく、あれを手に入れたいとか、もっと自分を認めてほしいとか、自分の都合通りに物事を進めたいとか色々な欲望が渦巻いています。時にそれは自分でもコントロール出来ないほど大きく燃え盛り、怒りや悲しみといった他の感情もともなって暴走してしまいます。

そうなると色んな事がうまくいかなくなる。

仏教ではその欲望の火をなるべく小さくするように努力して、最終的には完全に火を消すことを目的とします。

それは何も悲しみや怒りの感情を捨てるということではなく、そういった感情に振り回されず、感情をコントロールできるようになる。そうすれば心が平穏になり何事にも心が振り回されなくなるということです。

それが仏教の最優先事項で、それを達成するためにお坊さんは一般の社会と距離を置いているのです。今の日本の仏教だと社会とのかかわりはわりと密接ですが、東南アジアの仏教や初期の仏教教団は社会的とは言えない生き方をしています。簡単に言えば仕事をしない。お坊さんは生産性がないのです。

働かないしお金に触れてはいけないという戒律もある。だから家々を回って托鉢をし、その日に食べるご飯を一般の人たちからいただくという暮らしをするのです。

そしてそれ以外の時間は心の火を消すためにひたすら修行です。瞑想をしたり教団の長老の説法を聞いたり。仏教論書にはこう書いてあります。「雑事にかまけてはいけない」と。

つまり徹底して優先事項の間に他のあれこれを入れない暮らしをしているのですね。

だからお坊さんは人里離れたところで一般社会と隔絶をした修行生活をしているというイメージがあると思うのですが、何の為にそんなことをしているかというと、それはひたすら悟りという優先事項のために他の不純なものをいれないようにしているからなのです。

現代の日本のお寺ではなかなかここまで徹底した一般社会との隔絶というのは難しいのですが、僧侶としての、仏教教団としての優先事項というのはしっかりと持ち続け、そのような姿勢をお参り頂く方々に感じてもらえれば、この現代社会にもお寺の存在理由を明かすことが出来るのかなと考えています。そうなるよう努力します。

我々僧侶はそのように優先事項が示されていますが、じゃあ一般社会で働くそれぞれが自分自身の優先事項を見つけるというのはそんなに簡単なことではないと思います。今後機会があればその自分自身の優先事項を見つけるきっかけとなるような文章も書いていければと思っています。それがいつになるかはわかりませんが…

どうぞお楽しみに。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌