今週のごあいさつ

「諦」という字

突然ですが「諦」という字を何と読みますか?

おそらく「あきらめ」と読む方が多いんじゃないかと思いますが、「あきらめ」以外に「あきらか」とも読みます。

お釈迦様のとても大切な教えに「四聖諦(ししょうたい)」というものがあります。詳しく書くと長くなってしまうのでこちらの説明は次回にするとして、原文(古代インド語)の意味としては「四つの真理」という意味の言葉です。

「真理」という意味なので四聖諦の「諦」は「あきらか」の方の使い方になりますね。

インドの言葉で「四つの真理」と言われたものが漢訳されて「四つのあきらかなこと」と訳されたわけです。

それで今回はこの「諦」という字の中に「あきらか」と「あきらめ」の両方の意味が含まれている面白さについて書いてみようと思います。

「あきらか」と「あきらめ」じゃあ全然違う意味に聞こえますよね。「夏が暑いのはあきらかなことだ」と言えば意味が分かりますが、「夏が暑いのはあきらめることだ」では何のことか意味が分かりません。

でも場合によっては「あきらめる」ことによって「あきらかなこと」がわかるということもあります。

ちょっと自分の体験を例に説明してみます。

私は本を読むのが好きで、性格としては完全なインドアタイプです。本を読むことが好きなので必然、本がたくさんおいてある本屋さんや図書館が大好きです。

それで若い頃からよく図書館に通っていたのですが、図書館の本ってついつい借りすぎてしまうのです。無料で借りられるし、読みたい本、知りたい知識などはいっぱいあるので借りられる上限が10冊なら10冊ぎりぎりまで借りてしまう。借りた時はすごく満足していて、「さあいっぱい本を読むぞ!」と思っているわけです。

ところがいざ読みだしてみると、図書館の貸し出し期限というのはだいたい2週間までですが、その2週間で借りた本を全部読めることなんて、まあ無いんですね。

読める人は読めるのでしょうが、私の場合は1日約1冊というペースで本を読むことは出来ない。

自分の時間がそれなりにあった学生時分でも2週間10冊は読めなかったのに、まして仕事をして家庭を持っている状況では読めるはずもない。だけどついつい多めに借りすぎてしまう。

しかしある時気づきました。「自分にはそんなに早いペースで本を読むことは出来ない。」と。

そして本を短期間でたくさん読むことを「あきらめた」んですね。

早いペースで本を読むことが出来る人に憧れていたし、たくさんの知識を持っている人にも憧れた。だから自分もそうありたいと思って自分の能力以上の本の読み方をしようとしていた。

だけどそんなことは自分には出来ないとあきらめた。

「あきらめた」を別の言い方にするならば、理想通りではない自分を「認めた」とか「受け入れた」と言ってもいいかもしれません。

それで、大事なのは私が一度に大量の本を読むことが出来ないのは最初から「あきらか」なことだったのですね。本は好きだけど、そういう訓練もしていないし。

だけど意地とか理想とか執着でなかなかそのことを受け入れられなかった。だけど一度それを「あきらめる」ことでようやく「あきらか」だったことを受け入れることができた。

そうなると自分にあった読書のペースを考えて本を借りられるようになりました。また、やみくもにいろんな本に手を伸ばすのではなく、自分が今一番読みたいものに的を絞って本を選べるようにもなりました。

そうすると上限ぎりぎりまで本を借りていた時よりも、図書館で本を借りて読むことが楽しくなりました。そしてそうなるためにはやっぱり「あきらめる」ことが大事だったと思うのですね。

ものごとを何でもあきらめればいいわけではないのでしょうが、なんだかうまくいかない時に、自分が無意識に執着していることをあきらめてみれば、それまで見えなかったあきらかなことが見えてくることもあるかもしれません。

今回はそんなお話でした。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌