今週のごあいさつ

「知らない」ということに対して謙虚に

今週の土曜日、9月11日と来週土曜日の9月18日に金毘羅院にて永代供養の合同相談会を行います。

金毘羅院が行っている永代供養の内容、お墓の種類、お墓じまいや葬儀のことなどについてお話をします。供養が負担とならないような仕組みにしておりますので、今後永代供養を考えている方はこの機会に参考にしてみてください。

参加希望の方は前日までに予約をお願いします。感染対策の為人数制限を設けているので都合が合う方はお早めにご連絡ください。

 さて先日ある物書きを職業とする方の講演を聞いたのですが、その中で印象に残ったことが、「ある一つの商品を見て、このパッケージはもっとこうした方がいいのに、とか大きさはもう少し大きくてもいいのに、と素人の自分たちがあれこれ批評することがあるけれど、そういった商品を一つ作るのに、実はかなりな時間の企画会議が行われているものです。その会議の中で、素人の自分たちがあげるようなアレコレの提案というのは当然何度も繰り返されていて、それらを踏まえたうえで今目の前にある商品が開発されています。

そういった目に見えない過程を想像することで簡単に批評や批判をすることなく、敬意をもって物事を見ることが出来る。」といったお話をされていました。

 このお話を聞いて一番に思ったのはオリンピック選手に対する誹謗中傷についてでした。

メダルを期待されていた選手が思うような結果が出せなかった時に、SNSなどで選手に直接誹謗中傷のメッセージが送られてくることが問題になりました。

これも先のお話と同じように、私たちの目に見える結果の前には、その選手がオリンピックに向かって努力してきた過程があり、そして試合の最中に行った判断も素人の我々が「もっとこうすればいいのに」と思うことは当然考えているわけで、それよりもさらに高い次元での駆け引きの末、思うような結果につながらないこともあるのだと思います。

だから素人の批評なんてプロからしたらてんで的外れなものです。

だけど誹謗中傷の言葉は、プロの選手でも傷つきます。

 以前にもこの場で書いたことがあるのですが、人が他人に対して簡単に批評できるのは「知らないから」だと思っています。

目に見えることだけではなく、その後ろにある過程や思想を知らないから好き勝手に色んなことを言えてしまいます。けれど、その人のことをよく知ることで簡単に批評できなくなることは多々あります。

「しゃべってみたらいい人だった」っていう経験は誰にでもあるんじゃないでしょうか。

 人は自分の目や耳からしか世界を感じることが出来ません。だからどうしても自分の世界の見方が正しいと思ってしまう。

だけど本当は知らないことの方が圧倒的に多いのです。だけど知っているつもりになって簡単に誰かの悪口を言ってしまう。

だからこそもっと自分が「知らない」ということについて謙虚になっておかなければならないのだと思います。

謙虚であることによって簡単に人を批判しなくなりますし、誰かに対して敬意をもって接することが出来ます。

そしてそういう姿勢は自分も誰かからとってほしい態度でもあります。

みんながそういう姿勢でいられるように、まずは自分からそうなってみましょう。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌